正直、こちらに落ち度はないのだが、乗客は「3000円しかないからね!」と吐き捨て、降りてしまった。「おいコラ、待て!」とやってもよかったが、会社の看板を背負っている以上、そんな口は聞けない。貴重な営業時間をロスすることになる上、無駄なストレスも生じてしまう……。
そうあきらめて自腹を切ったが、このように、時には話の通じない乗客を相手にしなければならないのが、タクシードライバーという仕事だ。
もっと困るのが酔客だ。深夜の割増時間帯などは、一刻も早く次の乗客を見つけたい。しかし、酔客は一度寝たらなかなか起きないため、起こすだけで30分以上かかることもある。交番で助けを求めようにも、夜間は警察官が不在のケースも多い。
こうした場合、ドライバーは乗客の体に触れることができない。「財布がなくなった!」など、つまらないトラブルの要因になるからだ。相手が女性の場合は、なおさらである。
では、そんな時はどうするか。「窓を全開にして走る」「タクシーの天井をドンドンと叩いて響かせる」などが有効な手段だが、それでも起きない強者もいる。さすがに「水をぶっかけて、そのへんに投げ捨ててやりたくなる」のが偽らざる心情だ。
しかし、嘔吐する乗客よりはまだましだ。嘔吐が困るのは、その後の仕事に差し支えるからだが、そんな時も、乗客に清掃料金などを請求するのはご法度とされている。「危ないな……」と感じたら乗せないに限るが、ナンバーを控えられて乗車拒否の通報をされないとも限らない。このあたりを要領よく立ち回る能力も、タクシードライバーには必須だ。
「もう金がねぇから、5000円で行けや」
暇な給料日前の火曜深夜のこと。駅に向かう道すがら、千鳥足の2人組を拾った。どうやら接待のようで、片方の乗客は接待相手を褒めまくっていたが、途中で相手が降りると態度が一変。
「あのバカ野郎、全部こっちに払わせやがって。おい運ちゃん、もう金がねぇから5000円で行けや」
「運ちゃん」という物言いにカチンときたが、我慢してこう返した。
「すいません、5000円ではとても無理です」(通常なら7000円ほどかかるルートだ)
「なら、なんで走らせてんだ、コラ!」
「それでは、止めましょう。正規の料金を払っていただけない方は、お客様ではありません。下車強要にもあたりませんので、ここで降りてください」