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中村芳平「よくわかる外食戦争」

キリンビール、マス広告&大量生産と決別の歴史的転換へ…驚きのビールの店に客殺到

文=中村芳平/外食ジャーナリスト

 筆者はイベントでSVB社長の和田徹氏にクラフトビールの可能性について尋ねたところ、こんなふうに答えた。

「SVBは開業1年で来店客数約26万人を数える見込みです。今年も26万人の来客を見込んでいます。これを10年(~2024年)続ければ約260万人集客することになります。そうなれば新しいビアカルチャーが育ってくると思います。私はこれまでのように単品大量生産し、マス広告で大量に販売する時代は終わったと思います。これからは多品種少量生産のクラフトビールの時代だと思います。キリンがリーダーシップを発揮し、SVBを通じ魅力的で驚きのあるビールを次々に提供し、新しいビール文化を創造することで、ビールの再成長につなげていきたい」(和田氏)

 和田氏はキリンビールでマーケティング畑が長く、発泡酒「淡麗」、缶チューハイ「氷結」などの大型ヒット商品を世に送り出してきた同社のマーケティングのエースである。いずれSVB発の大型ヒット商品を出す可能性も否定できないだろう。
(文=中村芳平/外食ジャーナリスト)

中村芳平/外食ジャーナリスト

中村芳平/外食ジャーナリスト

●略歴:櫻田厚(さくらだ・あつし)

1951年、東京都大田区生まれ。高校2年生の時に父が急逝し大学進学を断念、アルバイトして家計を助ける。都立羽田高校卒業、広告代理店勤務。72年に14歳年上の叔父(モスフードサービス創業者・櫻田慧)に誘われ「モスバーガー」の創業に参画。フランチャィズ(FC)オーナーなどを経て、77年に同社入社。直営店勤務を経て教育・店舗開発、営業などを経験。90年、初代海外事業部長に就任、台湾の合弁事業の創業副社長として足掛け5年半でモスバーガーを13店舗展開。1985年の株式上場と244店舗展開(16年9月末)、そして同社の海外展開の基礎をつくった。慧氏は97年にくも膜下出血で急逝、享年60。櫻田氏は98年社長に就任、14年会長兼社長に就任し、今年6月、社長を常務取締役執行役員の中村栄輔氏(58)に譲った。社長交代は18年ぶりのことだ。櫻田氏は中村氏に国内事業、新規事業を任せ、海外事業に全力を注ぐ構えだ。「モスバーガー」を世界のブランドにするという、夢の実現に向かって挑戦しようとしている。

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