むしろ過去の失敗から学んで、より良い会社へと変わっていきたいと社員ががんばって、それで以前とはまったく違う、良い風土の組織に生まれ変わってくれるというのが、実は「ワタミにそうなってほしい」と思うゴールのなかでは、大半の当事者にとっての一番良いゴールなのだ。
実際、不祥事が起きて、それをきっかけに多くの幹部が逃げたりいなくなったりした状況を考えてみよう。そしてほかに生活を守る手段がないからと残った者と、会社を再生させる目的で不祥事の後から会社に参加した者たちが、そこからの反転を考えたとする。
その場合に一番つらいことは、いくら中身が入れ換わっても「悪」のレッテルを貼られることだ。私も経験があるが、不祥事があった企業で、当時の関係者がすべて辞めて、新しい経営陣でやり直そうとしているのに、周囲はそのやり直そうとしているチームのことを「悪」だと言う。これは後始末だとわかって業務を引きついでいる再生屋にとっても、実は結構つらいことだ。
たとえは悪いが、前科のある者が更生しようとがんばっているが、結局世間から冷たくされてまた犯罪に手を染めるのに似ている。法人の場合は、その中身である「人」が入れ換わっている場合でも、世間から冷たくされる。それは再生に携わっている人たちにとっては、割に合わないことである。
「ワタミ隠し」から「ワタミ外し」へ
企業が再生するには、やはり業績が良くならないと元気は出ない。貧すれば鈍するで、業績が低迷したままだと、どうしても組織の中には悪いことに手を染めてしまう人がまた出始める。サービス残業が起きたり、不正な営業が起きたりしてしまう。
そう考えれば、「本当に企業として変わろうとしている」場合については、ブランド名が変わったほうが、フレッシュな再スタートができるものだ。それは決して悪いことではない。
それを「ワタミ隠し」と呼ぶ人がいるのは仕方がない。世間の風は冷たいのだ。しかし、業績が良くなったことをきっかけに、また新しい人がどんどん入ってきて、それで会社の風土がさらに変わっていけば、最終的には良いゴールにたどり着く。そう考えるのが前向きな考え方だと私は思う。
ただ、ワタミの場合、経営陣が踏み込めていない問題がひとつ残っている。この問題をつくった創業者との対決が行われていないのだ。実質的にいまだに多くの株式を握り会社に影響力を持っている創業者をそのままの状態にしている限りは、“隠したワタミ”がいつかまた表面に出てくることになるだろう。
「ワタミ隠し」からもう一歩進んで「ワタミ外し」まで持っていく。その覚悟を見せていただければ、顧客はもっとたくさん戻ってきてくれるようになると思うが、どうだろうか。
(文=鈴木貴博/百年コンサルティング代表取締役)