16年1月に始まった東芝メディカルの入札には国内外から10陣営が参加した。買収金額が吊り上がるとともに、ファンド勢が軒並み離脱。最終入札にはキヤノンと富士フイルムHDの2社が残ったが、結局、キャノンが6655億円で東芝メディカルを買収した。当初、買収価格は4000億円前後とみられていたが、キャノンと富士フイルムHDが激しく争ってどんどん金額が吊り上がり、破格の買収価格となった。
「残念だった」――。16年3月、キヤノンに敗れた古森氏は口惜しさを滲ませた。だが、すぐに気持ちを切り替え、「使わなかった資金は十分使い道がある。その意味で良かった、悪かったどちらにも考えられる。人間万事塞翁が馬。それはそれで良し」と、未練を断ち切った。
富士フイルムHDが東芝メディカルの買収に名乗りをあげたのは、成長戦略の柱に据えた医療事業の規模を拡大するのが狙いだった。キヤノンにさらわれた痛手は大きかったが、6000億円の手元資金(16年3月期)が残った。
この資金で、次のM&Aのターゲットにしたのが、武田薬品工業の子会社で試薬大手の和光純薬工業だ。和光の買収には日立製作所の子会社の日立化成や複数の投資ファンドが名乗りを上げた。キヤノンの傘下に入った東芝メディカルも参戦したが、富士フイルムHDが買収した。買収額は1547億円で、和光が持つ再生医療に必要な技術を取り込む。
事業構造を転換し、業績をV字回復
00年、富士写真フイルム(現富士フイルムHD)社長に就いた古森氏は、稼ぎ頭だった写真フイルムの市場が大幅に縮小するという「本業消失」の危機に直面していた。このままでは早晩、経営は行き詰まる――。そこで、事業の構造転換を伴う新しい成長戦略を策定した。06年10月、持ち株会社制に移行し、富士写真フイルムから富士フイルムHDに商号を変更した。
液晶用フイルムに代表される高機能材料や、子会社の富士ゼロックスが手掛ける複合機などのドキュメント、後に医薬品や化粧品にまで業容が拡大したメディカル・サイエンスなど、6つの事業分野を新たな成長の核に据えた。なかでも、成長を目指して重点的に投資する分野として医療を選んだ。
08年、富山化学工業を買収した。古森氏は「現在3000億円規模のメディカル・サイエンス事業を10年後に予防・診断・治療の領域をカバーする1兆円規模の総合ヘルスケア事業に大きく成長させる。医薬品は、その中心だ」と展望を語った。富山化学はエボラ出血熱に使える「アビガン」を産み出し、高い評価を受けている。