危険な水銀排ガス、これまで東京の空に放出が野放し…ごみ清掃工場の事故多発
水俣を受け継ぐとは?
16年5月1日付朝日新聞は『(日曜に想う)』(福島申二編集委員)のなかで、『水俣、取り戻せない歳月をへて』と題し、水俣病について次のように記述している。
「5歳の女の子に異変が起きた。昨日まで元気に走っていたのに朝起きると口が回らず、茶碗も持てなくなったという。歩くこともままならない。魚が湧くといわれた不知火海のほとりの集落に女の子は生まれた。潮騒のもたらす恵みは、この女の子をすこやかに育むはずだった。だが工場排水から魚や貝に蓄積されたメチル水銀が、海辺に暮らす老若男女に牙をむいた。何日かすると同じ症状が妹にも現れた」
同記事によれば、数万人に上る被害患者を出した水俣病に対し、「国は、加害企業チッソによる工場排水が、水俣病の原因だと認めるまでは、国や加害企業や学会が、『つるむように』情報を隠し、被害の拡大に加担してきた」という。
水俣病の最初の患者が発症したのが1953年。国が発病と排水の因果関係を原因として認めた68年までの15年間、被害の拡大が続いた。損害賠償請求に対して、95年に村山富市首相(自社さきがけ連立与党)が謝罪し、和解金などを対象者約1万2700人に支払う。訴訟を継続した関西訴訟に対して最高裁が国の責任を認めたのが04年。そして、水俣病救済特別措置法の閣議決定が10年である。
大筋の解決まで半世紀もの時間が費やされ、国は真摯に公害と向かい合わず、むしろ被害拡大に手を貸し、被害者救済や補償の点でも後ろ向きであった。それが、水俣病への対応であった。
国が国際水銀条約を締結するにあたり、その名を「水銀に関する水俣条約」とするのなら、「経済至上・産業優先」のもとで予防原則を放置し、公害=環境問題をなおざりにしてきた水俣病での対応を反省し、克服しなければならない。
身近なごみの焼却・清掃工場に、なぜ規制が?
水俣病では、工場排水として流され魚介類を汚染した有機水銀(いわゆるメチル水銀)が問題になり、その汚染魚介を食べることによって水俣病が発生した。しかし、水銀の有害性はこのメチル水銀に限らない。
世界保健機関(WHO)は、「水銀はどんなに微量でも危険である」と05年に宣言した。「焼却によって排出される金属水銀や水銀化合物なども肺から吸入した時には、中枢神経系や腎臓に影響を与え、精神障害や記憶障害、言語障害をもたらし、動物実験では生殖・発生毒をもたらす」(循環資源研究所の村田徳治所長)ことがわかっている。