日本板硝子は海外売上高比率が2割から7割へ急増し、生産拠点は28カ国、従業員は2割が日本人で、それ以外はすべて外国人という、文字通りグローバル企業へと転換した。
買収後、日本板硝子はグローバル企業を管理運営する困難さに直面した。ドメスティック(国内型)企業の典型であり、グローバル企業をハンドリングする経営ノウハウを持ち合わせていなかったからだ。
この課題を解決するため、出原(いずはら)洋三会長(当時)が出した答えは、「外国人が経営し、日本人が監視する」という特異な企業統治形態だった。出原は、「買収したか、されたかを超越する発想の転換を行った。これこそハイブリット経営体制だ」と自画自賛した。
08年6月、日本板硝子の社長にピルキントンの社長だったスチュアート・チェンバース氏が就任した。買収された会社のトップを本体の社長に抜擢したのだから、経済界は驚いた。
ところが、就任からわずか1年2カ月たった09年9月、チェンバース氏は「家族と多くの時間を過ごすため」という“迷文句”を残して社長を辞任した。辞任会見で、「日本の古典的サラリーマンは会社第一主義だ。それが間違いだとは言わないが、私には家族が一番だ」と発言した。まるで日本のサラリーマンは会社の奴隷で、社長の重責にありながら“敵前逃亡”する自分が人間的であるかのような言い草だった。
そのチェンバース氏が昨年、再びニュース面を飾った。ソフトバンクグループが16年7月、3兆3000億円で買収を発表した英半導体設計大手アーム・ホールディングスの会長がチェンバース氏だったのだ。彼は、ピルキントンとアームを日本企業に高値で売りつけた、したたかな英国人経営者ということになる。
日本板硝子は懲りずに、クレイグ・ネイラー氏をヘッドハンティングしたが、「経営戦略の違い」を理由に、同氏は1年10カ月で辞任。外国人社長の起用に2度失敗して、ハイブリッド経営の旗を降ろした。12年に吉川恵治氏、15年に森重樹氏と、日本人社長の経営に移行した。