日産自動車で17年間の長期にわたってトップを務めてきたカルロス・ゴーン氏が2月23日、日産の社長兼最高経営責任者(CEO)を4月1日付で退任すると発表した。周囲から「高額な報酬を得て、死ぬまでルノー・日産のトップに居座り続ける」と見られてきたゴーン氏が突如として退任を決断したことに、業界内外から驚きの声が上がっている。ゴーン氏の突然の退任は、経営の第一線から身を引く前触れか、それとも新たな野望の始まりなのか。
関係者によると2月22日に開催された日産の取締役会で、ゴーン氏が自身の社長兼CEOの退任と、後任として西川廣人共同CEOの社長兼CEO就任を提案、これが了承され、翌日午前8時に発表された。大企業のトップ人事は通常、証券取引所の場が閉まった午後3時以降に発表されるのが通例だが、朝一番に発表、しかも社長交代の記者会見も開かれなかった。
日産のプレスリリースによると、ゴーン氏は「(昨年10月に傘下に入れた)三菱自動車工業の会長に就任し、次の日産の定時株主総会の開催を控えていることから西川氏に日産のCEO職を引き継ぐのに適切な時期と判断した」と説明している。ゴーン氏は日産の代表権を持つ取締役会長となり、今後はルノー、日産、三菱自による「アライアンスの拡大と経営に集中する」としている。
ゴーン氏が日産入りしたのは、1999年にまで遡る。長期にわたる販売不振で業績悪化が続き、有利子負債が2兆円と、倒産寸前だった日産がルノーと資本提携、ルノーの上席副社長だったゴーン氏は、日産の経営再建を主導するため、最高執行責任者(COO)として送り込まれた。当時のゴーン氏は業績が悪化していたルノーで工場閉鎖や調達先の絞り込みなどを進めて業績を急回復させたことから、業界で「コストカッター」との異名で呼ばれるほどだった。
日産入りしたゴーン氏は、調達先の絞り込みによる購買コスト削減や工場閉鎖などによる中期経営計画「日産リバイバルプラン」をまとめるとともに、「コミットメントを達成できなければ日産の役員を辞める」と宣言。背水の陣で挑んだ経営再建は成功、日産の業績はV字回復し、中期経営計画も目標を前倒しで達成した。ゴーン氏は2000年に社長に就任、01年にはCEOとなった。
その一方で、日産の調達先の絞り込みの煽りを受けて、鉄鋼メーカーのNKKと川崎製鉄が生き残りに向けて経営統合したほか、日産系列部品メーカーの合併も相次ぐなど、「ゴーン改革」は企業再編の引き金となった。
その後、日産の業績は順調に成長を続けてきた。ゴーン氏は日産の経営再建の手腕を買われ、05年に日産にとっては事実上の親会社であるルノーの社長兼CEOにも就任。日本と欧州の大手自動車メーカー2社のトップを1人で務める異例の経営体制をとってきた。