伊勢丹が三越を吸収合併するのであれば、給与や人事を伊勢丹方式で一本化しなければならない。その場合、まず三越側に不利な条件をのませたうえで吸収するという段取りになる。これは吸収(救済)された側の悲哀である。トップが腹をくくって取り組むべき力仕事であり、共同統治という微温的な体制でやれるわけがない。
それが、両社の出身者にボーナスで格差をつけるという、お粗末なやり方だったので、かえって対立を際立たせた。
店舗づくりは伊勢丹流にこだわった。11年5月、JR大阪駅の駅ビルにJR大阪三越百貨店を出店。伊勢丹流の店舗づくりに取り組んだが販売不振が続き、わずか4年後の15年には百貨店の看板を下ろした。
この店舗は、もともと三越が05年に閉店した大阪・北浜にあった旧大阪店の後継店舗として出店を決めていたものだ。経営統合で伊勢丹が主導権を握ったが、伊勢丹の本音は大阪からの撤退だったといわれている。三越側の熱意に押されて出店したが、旧三越大阪店のメーン顧客だった60歳前後のシニア層は、若年層や婦人層をターゲットにしたファッション百貨店を敬遠した。ここでも三越と伊勢丹のミスマッチが失敗の原因となった。ところが、大プロジェクトが失敗したにもかかわらず、誰も責任をとらなかった。
中国人観光客による“爆買い”で三越サイドは元気を取り戻した。銀座三越は、爆買いの聖地となり、爆発的に売り上げを伸ばした。しかし、爆買いバブルが弾け、これを機に大西社長は大リストラに乗り出した。
千葉三越や多摩センター三越を3月末に閉鎖するだけでなく、松山三越、広島三越の売り場縮小を検討すると表明。管理職のポストの1~2割の削減、人員削減を検討していた。旧三越出身者から「三越ばかりがリストラされる」という不満の声が外部に漏れるようになった。
三越vs.伊勢丹の根源的な対立に、社外取締役は喧嘩両成敗の断を下した。新社長に就く杉江氏は、大西社長のもとで経営戦略本部長として経営改革を推進したが、大西路線をそのまま引き継ぐことはない。
社外取締役が求めているのは、社長への権限の一本化である。集団指導という名の無責任体制の弊害を改め、経営責任を明確化することだ。そのため、6月以降は石塚氏の後任会長を置くことはないとの公算が高まっている。
三越側の“クーデター”は成功したかに見える。だが結局、伊勢丹色が強まるだけと見通す声が多い。
「『三越の店ばかり閉鎖される』というが、それだけ三越の働きが悪かったということだ。大西社長に辞表を書かせたのは石塚会長だが、石塚会長に代表される三越出身者は、天に唾することになったのではないのか」(流通大手幹部)
新社長の杉江氏は、大手アパレル業界では無名に近い。石塚会長に近づいて社長の椅子を手に入れたが、業績を早期に立て直さないと、次は杉江氏の首が飛ぶかもしれない。
(文=編集部)