実際、LIXILは早くも67年に国産シャワートイレを開発したが、当時は「トイレにこんな機能が必要なのか?」といった懐疑的な見方が圧倒的だったという。
「3K」のイメージが大きく変わったのが、鳥越氏が「日本のトイレにおけるエポック」と語る80~90年代だ。それまで狭いのが当たり前だったトイレを「空間」として考え売り出すことで、風向きが変わっていったのである。
バブル崩壊が日本のトイレを劇的に進化させた
鳥越氏によれば、そのきっかけとなったのがバブル崩壊だ。
「バブル崩壊以降の日本は、世の中全体的に外で派手に遊ぶことが少なくなりました。その代わりに生まれたのが『ホームパーティー』という概念です。自宅に人を招く機会が増え、それによって家のトイレも『おもてなしをする空間』のひとつとなりました。トイレが応接間としての役割を持つようになったんです」(同)
おもてなしの空間としてのトイレが認知されるようになると、日本のトイレは加速度的に進化していく。たとえば、より広い空間をつくるために開発されたトイレのひとつに「タンクレストイレ SATIS(サティス)」がある。
「どうやってトイレのサイズをコンパクトにしようかと考えたとき、『いっそのこと、タンクを取ってしまおう』という発想で誕生したのがこのトイレでした。タンクレスにすれば奥行き約80cmのトイレが65cmまで小さくなり、日本の狭いトイレ空間のスペースをより広く使うことができます」(同)
このタンクレストイレ SATISも、開発当時は「タンクをなくして水が流せるわけがない」という声が多かったという。しかし、2001年の登場以降、トイレ空間がよりすっきりするということで、多くの人々に受け入れられて普及していった。
アイボリーが主流だったトイレの色が、現在の主流であるホワイトに変わったのも同じ頃だ。その後、便器の性能の進化やトイレ空間のさらなる変化を経て、現在のメイド・イン・ジャパンの象徴としてのトイレにつながっていく。
「トイレは、私たちのライフスタイルとともにあります。トイレを居心地よくするために、これから先も性能はどんどん良くなっていくはずです。また、この先の超高齢化社会を迎えるにあたり、ユニバーサルデザインをより意識したトイレも誕生するかもしれません」(同)
「用を足すだけの場所」から「おもてなしの空間」へと進化したトイレの次なるステップは「くつろぎの空間」だ。鳥越氏によると、それは「トイレにいながら、リビングのようにくつろげる空間」だという。いったい、どんなあっと驚くトイレが開発されるのか? 日本のトイレの進化はまだまだ続く。
(文=中村未来/清談社)