後発の松下が同じ陶器で勝負していては、ライバルの陶器メーカーに勝てない。陶器製の便器で勝負に臨むことは、「レッド・オーシャン」すなわち競争の激しい領域に飛び込むことを意味する。そうではなく、陶器では到達できない未開拓領域、「ブルー・オーシャン」を切り開くべきだという指南である。
しかし、「トイレといえば陶器」という常識を否定し、新境地に到達することはできるのだろうか。陶器以外の材料で便器をつくることは、果たして可能性なのだろうか。
「樹脂を使えば、他社ができない便器をつくれるんじゃないか。これは、松下の便器が新たな土俵に乗るチャンスだよ」
所長はこともなげにいった。そうはいっても、樹脂製便器が完成するまでには、10年有余の長い年月を要した。
欠点を克服する新素材の開発
陶器製便器には、弱点があった。
「陶器は、土を固めたうえに釉薬を塗って釜で焼きますが、釉薬のなかにケイ素という成分が含まれていて、乾燥すると水アカの成分と化学結合して、便器の表面に水アカが固着してしまうんですね。ブラシでこすると、きれいになったように見えるんですが、じつは、表面がボコボコになったままのため、すぐまた汚れがついてしまうんです」(酒井氏)
つまり、水アカがつきやすく、黒ずみや汚れもつきやすいのだ。こうした陶器製の難点を克服する手段として、樹脂を活用できれば、ビジネスチャンスが生まれる。
技術者たちは、便器の新素材としてアクリル樹脂に目をつけた。樹脂はケイ素を含まないため、化学結合が起こらず、表面の平滑性が保たれる。また、アクリル樹脂の撥水性により、汚れがつきにくいという特徴もある。
樹脂製便器の第一号の製品化に成功したのは、1980年だ。ただ、材料に使用した汎用樹脂ABSは変色しやすく、熱に弱く、傷も避けられず、結局失敗に終わった。
本格的な樹脂製便器の開発は、その後、04年まで待たなければならなかった。「樹脂トイレプロジェクト」のスタートがそれである。汎用樹脂を使って失敗した第一号の反省のもとに、今度は材料にまでさかのぼって研究が進められた。カギは分子にあった。
主成分のアクリル樹脂は、分子と分子の結合からつくられる。だから、特定の分子を追加することにより、アクリル樹脂はその性質を強化することが可能だ。技術者たちは、素材のブレンド研究に取り組んだ。樹脂に特性をもたせるため、材料の配合を徹底的に研究した。