お台場の次はニューヨーク!
今や「ドリーム夜さ来い祭りinお台場」は東京を代表する祭りのひとつとなり、80万人もの集客があるイベントに成長した。実は、扇谷氏は、第1回のお台場での祭りの直後には、すでにニューヨークでの開催を考えていた。「よさこい祭りを定着させるための活動を10年続けたら、ニューヨークでやると心に決めていました」と明かす。
とはいえ、タイムズスクエア広場での公式公演やイベントはハードルが高く、大手日本企業でもなかなか手が出せないのが現状だ。日本人で公式公演を行ったのは、約50年前のクレージーキャツというから、多くの人が扇谷氏の志に難色を示したのは言うまでもない。しかし、「ヘゴなやつ」に出会うと俄然火が着く扇谷氏の負けん気の強さと有言実行の精神で、ニューヨーク公演も見事に成功へと導いた。これも、「ニューヨーク市長に手紙を書く」という一歩から始めたという。
NYでの公式な許可を取るにあたり、お台場での経験が役に立ったそうだ。お台場同様、ニューヨーク市とタイムズスクエアによる「まちづくり協議会」のような組織があり、お台場の祭りの際に東京都へ出した企画書や書類と同様のものを英訳し、送付した。扇谷氏の地道なアプローチと多くの人のサポートにより13年4月28日、第1回「ドリーム夜さ来い祭りin New York」が実現した。この公演を機に、ドリーム夜さ来い祭りグローバル振興財団を設立し、扇谷氏は理事長に就任した。扇谷氏は、さらにシンガポール、イギリス、フランスでの祭りの開催を目指すという。
踊れば夢叶う
お台場、ニューヨークでの成功から、扇谷氏がビジネスの才覚もあり恵まれた環境で歩んできた人と想像する向きもあるかもしれないが、実際には波乱万丈の人生を歩んできた。扇谷氏の著書『よさこい魂 踊れば夢叶う』(幻冬舎)には、同氏の人生が細かく描かれている。
多感な思春期の頃、複雑な家庭環境に育った。両親が離婚、母は再婚したが、扇谷氏は継父に馴染めずにいた。そんな扇谷氏に実母は、「私たちは継父さんの家に行くけどあんたはどうする?」と尋ねた。この言葉に扇谷氏は「私は捨てられた」との思いを抱いたという。結局、継父の家へは行かなかったが、その後、人との出会いに恵まれ、看護婦を目指して寮へ入り事なきを得た。看護婦を目指す途中でダンスに出会ったことが大きなターニングポイントとなり、その後、よさこいのチームを設立するに至った。
「自分のやりたいことをやる」というスタンスで歩んできたというが、「人を大切にする」ということを常に忘れずにいたという。その生き方が扇氏を成功へと導いたのかもしれない。不安定な少女時代を過ごしたが、踊りへの情熱でまっすぐ生きることができたと考える扇谷氏は、「踊れば夢叶う」との思いを胸に、「世界に『ドリーム夜さ来い』という言葉を広めたい」と話す。
ニューヨーク公演を終えたばかりであるが扇谷氏は、次なる目標に向けて多忙な日々を送る。今年も11月にお台場や丸の内などで行われる「第16回ドリーム夜さ来い祭り」の準備はもちろん、来年にはシンガポールでの公演を予定している。20年東京オリンピック・パラリンピックの開閉会式での応援パフォーマンスを目指し、全国のよさこい関係者と共にさまざまな働きかけを行うなど、夢の実現に向け邁進している。
東京オリンピック・パラリンピックの開閉会式で「よさこい鳴子踊り」の華麗な舞が世界を魅了する日が楽しみである。
(文・取材=道明寺美清/ライター)