オーケストラにとってネットは善か悪か…会場の聴衆減る恐れの半面、新たな可能性も
時事通信によると、巣ごもり生活が定着するなか、50代以上のインターネット利用時間がテレビの視聴時間を超えたそうです。若者のテレビ離れが言われて久しいですが、市場調査会社マクロミルが2020年7~12月の行った調査では、50代の1日のテレビ視聴時間は3.2時間にもかかわらず、インターネットは3.3時間と逆転。しかも、50~69歳の男女1万5000人に行った調査では、2020年12月のYouTubeの1カ月平均利用時間は、2019年の1.5倍に伸びたそうです。
テレビのニュースを見れば新型コロナウイルスの話題ばかりで、大切な話だとはわかっていても、やはり不安を煽られますので、毎回見るのをためらう方もおられると思います。さらに、それ以外のテレビ番組も、一定の世代以上には、あまり興味が湧かないような内容も多いのが実情です。それならば、自分が興味ある話題や情報を、見たいタイミングで見ることができるインターネットのほうがいいというわけなのでしょう。
もちろん、クラシック音楽好きにとっても同じで、インターネットならばいつでも好きな時に、聴きたい曲を聴くことができます。たとえば20世紀の巨匠指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮する『第九』を急に聴きたくなった場合に、YouTubeで「カラヤン ベートーヴェン 第九」と検索さえすれば、たくさんの動画が検索されます。また、最近では、どこから手に入れたのかわかりませんが、CDでは発売されていないような歴史的なコンサートの録音やリハーサル風景を投稿する人まで現れています。つまり、クラシック音楽の世界は今、インターネット動画バブルなのです。
日本では昨年夏ごろからオーケストラやオペラも再開され、僕も指揮台に上がる機会が増えてきましたが、欧米ではまだまだの状況で、何よりも生活自体がロックダウン下にあるところも多々あります。音楽どころではない国がほとんどです。僕も、いつもならば年が明けてから今の時期までに2回くらいは海外に行っているはずですが、今年はまだ行く機会がありません。
現在、欧米では演奏を許されたとしても、満員の観客の前ではなく無観客のストリーミング公演しかできないオーケストラも多くあります。クラシック音楽愛好者にとっては、世界のどこにいてもインターネットを通じて超一流のオーケストラのライブ演奏を聴けるのは悪いことではないかもしれませんが、オーケストラにとってインターネットは、その便利さから、これまでの強敵であるレコードやCD以上の手ごわい相手となり得る存在かもしれません。
今、クラシック音楽界では、ストリーミングでのライブコンサートを、電子チケットを購入することによって聴くことができるシステムが増えてきました。こういった動きは、本連載記事『クラシックのライブコンサートもネット配信へ…世界中で視聴可能、ファン層拡大の可能性も』でも紹介したように、コンサートホールに来ている聴衆だけでなく、世界中の自宅からも気軽に聴けるハイブリッド型コンサートとして、今後の応用が期待されています。
しかもそんなことをしなくても、YouTube内を検索さえすればお金を出さずに、急に聴きたくなった曲を、往年の名指揮者やピアニスト、歌手による歴史的演奏で、いつでもどこでも無料で見ることができます。オーケストラにとってインターネット鑑賞の発展は、昭和の時代、テレビの演芸番組の登場により、実際の演芸場がピンチになったのと同じ道を辿ってしまう危険性もはらんでいます。
もちろん、生の音の圧力や雰囲気は、コンサート会場に行かないことには経験できません。日本国内では、オーケストラコンサートは盛んにやっているので、ぜひ、音楽はコンサートホールで聴いていただきたいところです。
インターネットだからこそ観られる貴重な動画
一方で、インターネット動画ならではの魅力もあります。もう亡くなってしまった指揮者の演奏は、録音以外では聴くことができないですし、往年の指揮者のリハーサルでのハプニング動画などは、クラシックに興味がなかった方々にとっても驚きの連続でしょう。
「クラシック音楽なんて、ちょっとお上品ぶった音楽家たちが、これまた気高い聴衆に聴かせている」と思っている方に、ぜひ聴いていただきたいYouTube動画があります。音源しか残っていませんが、癇癪持ちで有名だったイタリアの名指揮者、アルトゥーロ・トスカニーニが行うヴェルディの歌劇『ファルスタッフ』のリハーサル風景です。
当時の大スター歌手ジュゼッペ・ヴァルデンゴがその餌食となります。中高生の体育会系部活動での、怖いコーチの指導どころではありません。
ジュゼッペの表現が気に入らないトスカニーニは、大声で怒りを爆発させてしまいます。歌手が言い訳をしようものなら「しゃべるな!」と、ますます怒鳴ってしまう音声までばっちり入っています。それだけでなく、アメリカのオーケストラのトランペット奏者に対しても、興奮してしまってイタリア語で叫んでいるので、彼らも何を怒鳴られているのか理解していたのかどうか定かではありません。
このトスカニーニの怒りは、オーケストラの一番低い音を担当し、普段は目立つメロディーを演奏することが少ないコントラバスにまで及びます。
これは同じくヴェルディの歌劇『椿姫』のリハーサルの音声ですが、コントラバス奏者が編集しているのか、「トスカニーニはベースセクションを破壊する」という題名です。
指揮台を叩きながら、「コントラバス! いつも遅れている! 耳が無いのか? お前も、お前も、目もないのか? 恥を知れ! 耳が足についているのか!!」と怒鳴ります。今、こんな言葉を指揮者が発したらパワハラどころではないと思いますし、聴いている僕も背筋が凍ってきます。しかし、そのあとにトスカニーニはこう言うのです。
「コントラバス。あなたたちは良い奏者だけど、イタリアオペラの演奏は酷いものだ!」
怒鳴りつけながらも、コントラバス奏者としての実力は認めているのです。ここに、怖いだけではないトスカニーニの人間性を感じます。楽員サイドも、恐れていることは確かですが、すべて音楽のために生きている老巨匠に従っていく理由が見えてきます。出来上がった録音は、名盤中の名盤となりました。
そしてトスカニーニが亡くなったのちも、このオーケストラはトスカニーニの音楽を忘れることができず、ほかの指揮者を雇うことなく指揮者なしで演奏を続けたのです。
厳しい指揮者といえば、ロシアになる前のソビエト連邦時代、最高の指揮者ともいわれていたエフゲニー・ムラヴィンスキーも、そのひとりです。彼のオーケストラでは、楽員が5分でも遅刻しようものなら、クビになるか、運が良くても2週間休職させられたそうです。しかし、楽員はみんな厳しい理由がわかっていました。それは、すべて良い音楽をつくり上げるためだったのです。
そのムラヴィンスキーのリハーサル風景も、YouTubeで観ることができます。タイトルは「超ダイジェスト、最恐指揮者ムラヴィンスキー」です。
(文=篠崎靖男/指揮者)