「会社が強くなり、私がやるべきことが終わった」
富士フイルムホールディングス(HD)の古森重隆会長兼最高経営責任者(CEO、81)は、退任を決めた理由をこう語った。6月の株主総会後に取締役からも退き、最高顧問に就く。メディカルシステム分野を長年率いてきた後藤禎一取締役(62)が社長兼CEOに就き、助野健児社長兼最高執行責任者(COO、66)は代表権のある会長兼取締役会議長に就任する。
「イエスマンの助野さんがCEOにならなくてよかった。超ワンマンの下にいると、どうしてもヒラメになってしまう」(富士フイルムの幹部)
2021年3月期の連結売上高(米国会計基準)は2兆1800億円。古森氏の社長就任時から5割増え、純利益は1600億円と過去最高を見込む。日立製作所の画像診断機器事業の買収が完了し、富士ゼロックスが富士フイルムビジネスイノベーションに社名変更する大きな節目を引き際に選んだ。
古森氏は00年、60歳で富士写真フイルム社長に就任した。デジタルカメラの普及で主力事業だった写真フイルムの市場縮小に直面、業態の抜本的な転換をはかる。富士ゼロックスの株式を取得して連結子会社にした。1100億円を投じて液晶パネルの偏光板保護フイルムの増産に乗り出す。社名から「写真」を外し、富士フイルムに。富山化学工業(現・富士フイルム富山化学)を買収し、医薬品に本格参入した。
フィルムで蓄積した技術を医療機器や化粧品に応用し、業態転換に成功した。この経営手腕は高く評価されている。半面、政界中枢に人脈をもつ“政商”としても知られた。
新中経で1兆2000億円を投資
23年度までの新中期経営計画では、3年間で1兆2000億円の設備・研究開発投資を実施。最終年度の24年3月期の連結売上高は2兆7000億円、営業利益は過去最高となる2600億円を目指す。
1兆2000億円のうち1兆円をヘルスケアなどの新規・重点領域に振り向ける。後藤・新社長は「唯一無二のヘルスケアカンパニーを実現する」と強調した。後藤氏は医療分野に先鞭をつけた古森氏の経営方針を踏襲し、ヘルスケアを軸にした成長戦略を描く。ヘルスケア事業は医療機器、バイオ医薬品の開発・製造受託(CDMO)、医薬品・化粧品などで構成する。同分野で最終年度に8600億円の売り上げを見込む。現在の柱の事務機器関連を抜き最大の収益源となる。中計期間に積み増す営業利益1000億円のうち、470億円をヘルスケアで稼ぐ予定。事務機からヘルスケア(医療)に主役が交代する。
08年、富山化学工業を買収し医薬品に参入した際に古森氏は「10年後に医療関連事業で1兆円の総合ヘルスケア企業を目指す」と超強気の目標を掲げた。当時の医療関連の年商は3000億円規模だった。
古森氏が社長に就任したのは00年6月。3年後にCEOになりワンマン体制を確立した。かつては写真フィルムが大きな収益源だったが、デジタルカメラの登場でフィルムの需要が消失。ライバルだった米イーストマン・コダックは経営破綻した。2000年代からは事務機が主力事業になった。
「アベガン」と揶揄された「アビガン」
安倍晋三首相(当時)は、新型コロナウイルスの感染拡大を踏まえ、富士フイルム富山化学の抗インフルエンザ薬「アビガン」を新型コロナ治療薬として強く推し、税金投入に踏み切った。安倍首相は20年4月7日、緊急事態宣言後に表明した緊急経済対策に「アビガン200万人分備蓄に向けた増産支援」を盛り込んだ。20年度補正予算に139億円を計上した。
「アビガンならぬ、アベガンだ」。製薬業界からは、こんな冷ややかな声があがった。古森氏はJR東海の葛西敬之名誉会長と共に安倍首相を囲む財界人「四季の会」の中心メンバーである。新聞各紙の首相動静によると、19年末の12月30日、神奈川県茅ケ崎市のゴルフ場「スリーハンドレッドクラブ」で古森氏、飯島彰己三井物産会長、後藤高志西武ホールディングス社長らとゴルフをした(肩書きはいずれも当時)。年が明けた20年1月17日、東京・平河町の日本料理店「下関春帆楼東京店」で葛西氏、古森氏、ジャーナリストの櫻井よしこ氏と会食している。
新型コロナ治療薬として期待された政府推奨のアビガンだが、「お友だち重視の『モリカケ』と同じ構図」と揶揄される有様だった。安倍政権がコロナ対策の切り札としたアビガンの承認は、安倍首相退陣後の昨年12月の厚生労働省の専門部会で「有効性を明確に判断することは困難」だとして見送られた。
富士フイルムHDは4月21日、アビガンの臨床試験(治験)を再開したと発表した。目標とする参加者数は316人。50歳以上で重症化リスクを抱え、症状が出てから72時間以内の人を対象とする。10月ごろには治験を終了する。新型コロナは病状が多様なため治療薬の開発では有効性を証明するデータを集めるのが難しいとされる。武田薬品工業や米CSLベーリングなどが進めていた血液製剤の開発プロジェクトは中止となった。「アビガン」は安倍前首相が表舞台から消えたことによってお役ご免になったという受け止め方もある。
米ゼロックス買収の失敗が最大の痛恨事
古森氏は経営者として二度の大勝負に挑んだが、いずれも失敗した。16年に東芝メディカルシステムズの買収でキャノンと競り合った。新たな成長の柱として医療機器を位置付ける古森氏は買収に執念を燃やしたが、キヤノンが6655億円で手に入れた。それでも、医療機器をあきらめなかった。19年末、日立製作所から画像診断機器事業を1790億円で買収。コンピュータ断層撮影装置(CT)や磁気共鳴画像装置(MRI)などの事業を獲得した。
米ゼロックスの買収に失敗したことが古森氏の事業家人生の痛恨事となった。退任会見で「やりたかったことのひとつ」と述べた。世界で初めて複写機を開発に成功したゼロックスとは、1962年に共同出資会社を設立。半世紀あまり協業してきた。富士ゼロックスは日本と海外企業の合弁事業の成功例とされてきた。販売地域は富士ゼロックスが日本を含むアジア太平洋、米ゼロックスが欧米と分担してきた。2018年の複合機世界シェアは両社合計で17%と世界四強の一角を占めた。
富士フイルムは18年1月、米ゼロックスの買収を発表し一体運営による収益向上を狙った。だが、「物言う株主」として知られるカール・アイカーン氏らがこれに反対。アイカーン氏が推薦する経営陣を受け入れた米ゼロックスは富士フイルムとの売買契約を破棄した。富士フイルムは損害賠償を求める訴訟を起こし、買収交渉は2年近く膠着状態に陥った。
富士フイルムは、富士ゼロックス(持ち株比率75%)を使って、米ゼロックスを「現金支出ゼロ」で買収しようとしたが、これにカール・アイカーン氏らがかみついたのだ。古森氏が買収発表の記者会見で「ゼロ円買収」を打ち出したのが、そもそも失敗だった。「買収するなら自腹を切れ」というわけだ。
19年11月、富士フイルムHDは、米ゼロックスとの合弁会社、富士ゼロックスの米ゼロックスの持ち分(25%)を2500億円で買い取った。これで富士フイルムの100%子会社となった。57年間に及ぶ合弁事業は解消した。市場が成熟しているとはいえ、事務機部門は富士フイルムの営業利益の4割を稼ぐドル箱である。
ゼロックスブランドの使用契約は21年3月末で終了した。4月からゼロックスブランドは使えなくなり、社名を富士フイルムビジネスイノベーション(BI)に変更した。永年親しまれてきたブランドを失うことが致命傷になることを古森氏が知らないわけがない。
米ゼロックスの買収失敗の代償は小さくなかった。新中計の最終年度の24年3月期の連結売上高(2.7兆円)は08年3月期の2.8兆円に及ばない。米ゼロックスとの資本関係の解消に伴い、ゼロックスブランドは使えなくなる。BIの社長には真茅久則取締役(62)が昇格。二代続けて富士フイルム出身者がトップを務める。富士フイルムHDの次期社長と二人三脚でBIの事業転換を主導する。
富士フイルムの複合機の世界シェアは9%。リコーやキヤノンなどに次いで第5位だ。英語圏ではコピーすることをゼロックスすると言う。ゼロックスの知名度は高く、100億円のブランド使用料以上の有形無形のメリットがあったはずだ。永年親しまれてきたブランドを失うことが致命傷になることもあり得る。
米ゼロックスへの製品供給はどうなるのか。現在は富士フイルムの工場で生産した複合機をゼロックスに供給しているが、24年にOEM契約の更新期を迎える。20年3月期の海外売上高(仕向地ベース)は米州が18%(4200億円)、欧州が13%(2900億円)。合計で7100億円に達する。当然、米ゼロックスへのOEM供給分が含まれる。同期のドキュメント事業の売上高は9700億円だった。ゼロックスが調達先を他のメーカーに切り替えれば、工場の稼働率はガタ落ちになる。
自社ブランドで欧米に進出するといっても、無名のブランドで参入するには高い壁がある。事務機器は成熟した市場になっており、ブランド力が物を言う。脱ゼロックスは大きな試練である。古森氏は退任会見で「気力、知力は衰えていない」と語っていた。「社名を変更したBIの業績が急降下して古森最高顧問がCEOに復帰する」(外資系証券会社のアナリスト)と予想する向きもある。脱ゼロックスに失敗すれば、「独自のブランドになった複合機事業を成長軌道に戻す」という名目で、1年後にドンが経営陣に返り咲くかもしれないのだ。
(文=編集部)