バルクはリコー出身の村松澄夫氏が1994年に設立し、2005年に名証セントレックスに上場した。WEBマーケティングリサーチ、プライバシーマーク取得支援事業、モニタ管理システム内部統制構築コンサルティングなどを手がけ、システム業界関係者は「技術力はしっかりしている」と評価するが、一方で「社歴も決して浅くはなく、名証セントレックスとはいえ上場しているのに、経営水準が創業期のままにとどまっている」と指摘する。
業績は低迷を続けている。08年3月期決算に営業損失を計上して以降、12年3月期決算で5期連続の営業損失と営業キャッシュフローのマイナスを計上したことから、継続企業の前提に関する重要事象等(債務超過や継続的な赤字等により財務状況の悪化が考えられると経営者が判断した場合、財務諸表等に注記する事項)の存在を開示した。その後、経費削減などにより13年3月期第2四半期決算で継続の疑義を解消した。
13年3月期決算は、売上高10億4600万円(前期は9億7300万円)、営業利益1500万円(同2700万円の赤字)、経常利益1900万円(同2800万円の赤字)と黒字回復した。加えて、昨年、同社では社長が交代し、創業社長の村松氏が取締役会長に異動して、取締役の大竹雅治氏が代表取締役社長に就任したのだ。大竹氏は1958年生まれ。駒場学園高校卒業後、77年にソフト開発会社のヴィオに入社し、90年に同社専務取締役、95年に代表取締役社長に就任した。
●0円の株の評価額が、2カ月後に3000万円?
それ以降、昨年のバルク社長就任までの足跡をたどると、不思議な出来事が連続しているのだ。
まず、大竹氏がヴィオ社長就任後、同社は利益率の低下などで業績を悪化させ、08年10月に民事再生法を申請して、同11月に東証マザーズ上場のアイフィスジャパン(アイフィス)とスポンサー契約を締結。09年5月にヴィオは減資と第三者割当増資により、資本金を3000万円から1000万円に減資、アイフィスの100%子会社となった。
しかし、ヴィオの業績は顧客離れなどでさらに悪化し、人件費が持ちこたえられなくなった親会社のアイフィスは、翌10年3月、ヴィオの全株を社長の大竹氏に「ゼロ千円」で売却した。無償譲渡したのだ。民事再生法申請時の資本金3000万円のうち、大竹氏の持ち株比率は72.5%だったので、アイフィスが資産価値を「ゼロ千円」と判断して、いわば大竹氏に返却したようなものだ。
ところが、その2カ月後、なんとバルクはヴィオ株の51%を1530万円で大竹氏より取得した。同社は「取得価額の算定根拠については、10年4月時点の純資産額を基準に算定した」と説明するが、ヴィオ株の総評価額を実質的に約3000万円と算定したのだ。
なぜ2カ月前には「ゼロ千円」だったものに、約3000万円もの値がついたのだろうか。その理由について、バルクに問い合わせたところ、次のような回答が寄せられた。
「その当時の純資産額をもとに適正に算出しており、公認会計士のチェックも受けているので問題ないとの認識です。また、名証にも算定方法の経緯等について説明しているため、もし問題があったのなら、その時点で指摘されているはずです」
また、この10年の12月、ヴィオは資本金を1000万円から1105万円に増資した。105万円の増資である。この増資によってバルクのヴィオ持ち株比率は49%に下がり、過半数を割ったが、バルクは情報開示を行わなかった。
この理由についてバルクに問い合わせたところ、同社は次のように説明した。
「105万円の使途は運転設備への投資であり、開示しなかった理由は、開示項目に該当していなかったためです。また、なぜ自主的に開示しなかったのかにつきましては、その当時の経営判断です。監査法人のチェックも受け、適切な処置だと考えております」
そして11年6月、大竹氏はバルク取締役に就任。前述のように12年6月には代表取締役社長に就任し、社長だった村松氏は取締役会長に異動した。この人事について、同社はIRで「新たな経営体制のもと当社グループの更なる成長戦略の推進と企業価値の向上を図るため」と述べたが、大竹氏のキャリアや実績、経営能力には触れていない。
●大手企業も関心?
バルクは13年3月期決算で黒字に復活したとはいえ、上場後に約250万円をつけたこともあった株価は、いまや2万円を切っている。抜本的な経営強化が必須であることは明らかで、証券業界関係者は経営健全化の必要性を指摘する。