LIXILでの働きぶり
LIXILグループ社長時代の藤森氏は、まさにプロ経営者の仕事をしていた。
藤森氏は日商岩井(現双日)から米ゼネラル・エレクトリック(GE)に転職。46歳の若さで上席副社長となり、アジア人として初めて同社の経営陣の一翼を担った。
一方、LIXILは11年、トステム、INAX、東洋エクステリアと、買収した新日軽、サンウェーブ工業の5社が統合して発足した。
そのうちのひとつ、トステム創業者の息子である潮田洋一郎氏が「住生活産業におけるグローバルリーダーになる」とした中期経営ビジョンを打ち出し、「16年3月期までに連結売上高3兆円(国内2兆円、海外1兆円)、営業利益率8%」という高い目標を掲げた。海外売上高1兆円は11年3月期の実績(400億円)の25倍に相当する。
だが、「これはコミットメント(必ず達成しなければならない目標)ではなく願望だ」と述べ、アナリストたちをあきれさせた。こうした発言は、アルミサッシの旧トステムや、そこに合流した衛生陶器の旧INAXなどの企業群は、内需中心の典型的なドメスティック企業だったことが背景にある。
自分が経営者に向いていないと自覚していた潮田氏は、目標を実現するために藤森氏を招請した。11年8月、藤森氏は住生活グループ(現LIXILグループ)の社長兼CEO(最高経営責任者)に就いた。
潮田氏が藤森氏に与えたミッションは2つあった。海外売上高1兆円を稼ぎ出すグローバル・カンパニーに変身させること。そして、このグローバル企業の経営の舵取りを任せられる人材を育ててバトンタッチすることだ。
そこで藤森氏は海外での大型M&A(合併・買収)にアクセルを踏み込む一方、人材の育成にGEの手法を取り入れた。
15年4月、藤森氏は「変革への新たなステージ」と宣言し、4つの事業のトップに外部からスカウトした人物を据えた。事業会社LIXILの取締役10人のうち、外国人4人を含む9人がヘッドハンティングなどによる“外人部隊”だった。日本企業で、これほど外部要員に任せ切った事例はほとんどない。結果は案の定、失敗した。
藤森氏は、海外のM&Aと並行して、グローバル経営を担う人材を育成する腹づもりだったとみられるが、新体制で走り出した途端に高転びした。買収した独グローエ傘下の中国企業、ジョウユウに巨額の簿外債務が判明し、660億円の損害を被ったのだ。この失敗の責任を取らされ、16年6月の株主総会で藤森氏は退任。海外売り上げ1兆円構想は空中分解、グローバル人材の育成も頓挫した。
GEの手法を直輸入するだけで空回りに終わった。藤森氏が去った後、LIXILは脱GE流経営へと軌道修正した。藤森氏はプロ経営者として失格の烙印を押された格好だ。
だが、この失敗で、ドメスティック企業の経営改革は自分に向かないと藤森氏は悟ったはずだ。自分の得意技は、組織ができあがった大企業の中で、経営の効率化に手腕を発揮することであると考えたからこそ、勝手知ったる米国企業の会長を引き受けたのではないか。
LIXILのトップになる前には、東京電力ホールディングスの社外取締役を務め、一時、「社長内定」といった情報も流れた。
藤森氏は現在、武田薬品工業の社外取締役に就いている。同社の社長はクリストフ・ウェバー氏だ。外国人社長の受けは、相変わらず良いのかもしれない。いずれにしても、藤森氏はプロ経営者の看板を下ろしたということだ。
(文=編集部)