販売店は生殺与奪を新聞社に完全に握られている。新聞社が販売店に新聞を卸さなくなれば、販売店は商売にならないからだ。通常、両者間の契約は数年単位で更新され、新聞社は販売店に対して契約を更新しないことができるし、契約期間満了前であっても強制的に取引を打ち切る(強制改廃)こともある。このような力関係のなかで、新聞社が販売店に対して契約打ち切りをほのめかして圧力をかけるのが常である。
たとえば、新規の購読契約が取れないことを責めながら、「このまま販売店を任せるのは難しい」などと言って、さらに多くの押し紙を引き取らせるというケースもある。
新聞社は販売店に対して、まさに優越的地位にあるわけで、こうした不公正な取引を是正するために、独禁法では押し紙の禁止がうたわれている。しかしながら、独禁法を所管する公取委が問題を放置しているのが現実である。
販売店は新聞社の顔色をうかがいながら取引を行うため、仮に公取委に押し紙を申告しても、それが明らかになることを望まない。また、公取委が何もしないということがわかっても、申告したこと自体を明らかにできないため、販売店は泣き寝入りするしかない。そして、それを嘆く余裕すらなく経営が破綻するケースもある。
そもそも、公取委に押し紙の申告をするような販売店は経営が行き詰まっていることが多い。そして、そうした販売店の店主は公取委が動かない間に契約が解除され、生業を奪われる。通常、契約解除後は新聞社が別の店主を据え置くからだ。失業した店主は多額の借金を背負うことになり、家族が散り散りとなったり将来を悲観して命を絶ったりする者もいるのが現実だ。
加えていえば、そうした悲劇が報道されることは極めて少ない。新聞社はもちろん、クロスオーナーシップによって新聞社が放送事業に資本参加している現状では、テレビも押し紙の問題を伝えないからだ。いまだ新聞とテレビがメディアとして大きな影響力を持つ日本では、押し紙は一種のタブーとなっている。
そのため、押し紙で経営が破綻した販売店主やその家族の悲劇、さらにはそれが無視される現実を知る筆者は、テレビで偉そうにきれいごとを並べ立てるキャスターや記者に対して、「何が報道の自由だ」と憤りをつぶやいている。
(文=小山内未果/弁護士)