グローバルヒストリーのベストセラー本『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ/河出書房新社)によれば、人類がほかの種の動物を押しのけて世界の頂点に立てた理由は「虚構」にあるという。
動物のなかで「虚構を信じる能力」のある人類だけが組織だった大集団をつくることができる。人類に遺伝子レベルで非常に近いチンパンジーには、この能力がない。だから集団を率いるのは強いボスザルの腕力に頼ることになる。そうなると集団はせいぜい数十頭までしか大きくなれない。
人類はチンパンジーとは違い、虚構を信じることができる。「神のお告げ」であるとか「王が誕生した神話」などを信じる能力があるために、直接会ったこともない人物の権威に従うことができる。だから数万人、数十万人の社会を構築することができたというのである。
その観点から言えば、経済の世界というのはまさに人類の「虚構を信じる能力」があったからこそ成立する世界である。紙切れに印刷をほどこしたお札は、すべての国民が「政府が保証した紙幣である」という虚構を信じているからこそ、市中で通用する。
世の中には「社員」「経営者」「投資家」という異なる階級があるのだが、会社が利益を上げた際の取り分は社員より経営者が多く、経営者よりも投資家(株主)のほうが多いのは当然であるという虚構も、世界中の人が正しいことだと信じているから制度として成立している。
この制度が虚構だというのは、一歩立ち止まって再考してみると、それ以外のかたちの制度があってもおかしくないからである。社員が一生懸命働いた結果、会社が莫大な利益を上げているという状態で、なぜ社員の年収が500万円、経営者の年収が5倍の2500万円が当たり前なのかというと、実はそれほど合理的な理由はない。貢献度で言えば報酬が5000万円であるべき社員もいるはずだからだ。
さらには日本社会では経営者の取り分が多すぎると白い眼で見られる。社員の年収が500万円の会社で社長の取り分が1億円だと「高すぎる」となぜか批判が起きるのだ。その一方で、会社の利益が5億円だった際に「創業家が配当金として1億円を受け取る」と聞いても誰もそれがおかしいとは思わない。これは「社員<経営者<投資家」というルールが資本主義社会では正しいという虚構が広く共有されているから起きている現象である。