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片山修「ずだぶくろ経営論」

パナソニック元社長・中村邦夫氏が告白、経営危機から過去最高益への「破壊と創造」

文=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家

中村 やはり、決定的だったのはデジタル革命に乗り遅れたことです。象徴的なのは、マイクロソフトです。85年に登場した「Windows」が節目でした。

片山 90年代は、家電製品のアナログからデジタル、ハードからソフトへの転換に加え、ITインフラの発達によるネットワーク化が進み、複雑化、高度化しました。

中村 アナログの家電をつくり続けてきた家電メーカーは、IT化についていけず、死に絶えていった。コンピュータが、ホストコンピュータからPC(パーソナルコンピュータ)の時代に移り、各家庭に一気に普及するなかで、われわれはまだブラウン管のテレビをつくっていましたからね。家電メーカーにとって、デジタル革命は大きかった。

片山 デジタル化、さらにIT化は、企業の製品やその生産現場、マネジメントなどの分野にまで入り込みました。

中村 ITインフラは、米国にすべて握られていました。日本にはITインフラを担う企業がありませんでしたから、経営へのITの活用が遅れたんです。スピードの速さ、変化の大きさに対応できませんでした。

片山 日本の家電メーカーは、ITを軸とした90年代の世界の構造変化についていけなかったということですね。

中村 松下電器は重くて遅かった。すべてはそこに集約されます。ITを使えば速いことを、バケツリレーでやっていた。IBMのようなITをベースにした企業改革ができなかった。

片山 中村さんは、87年から92年まで、米国法人にいらっしゃいました。米国での体験を踏まえて、当時のパナソニックはいかがでしたか。

中村 米国から見れば、改革が遅れた最大の原因として、労使関係があげられると思います。日本企業には、年功序列、終身雇用、企業内労働組合が根強くありましたからね。われわれの場合、中国やアジアに生産拠点を設けて進出しても、雇用の流動性がないので、国内の雇用を減らすことはできなかった。したがって、生産拠点を移せば移すほど、余剰人員を抱えるという矛盾がありました。

 その点、米国の雇用責任は原則として連邦政府にあります。日本では、雇用を守ることは経営者の仕事であるかのようにいわれていましたが、なぜ、企業が雇用責任をもたなければならないのかという疑問は、常にありました。

片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家

片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家

愛知県名古屋市生まれ。2001年~2011年までの10年間、学習院女子大学客員教授を務める。企業経営論の日本の第一人者。主要月刊誌『中央公論』『文藝春秋』『Voice』『潮』などのほか、『週刊エコノミスト』『SAPIO』『THE21』など多数の雑誌に論文を執筆。経済、経営、政治など幅広いテーマを手掛ける。『ソニーの法則』(小学館文庫)20万部、『トヨタの方式』(同)は8万部のベストセラー。著書は60冊を超える。中国語、韓国語への翻訳書多数。

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