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梅原淳「たかが鉄道、されど鉄道」

京浜急行やJRの電車のドレミファインバータ、なぜひっそりと消えた?

文=梅原淳/鉄道ジャーナリスト
京浜急行やJRの電車のドレミファインバータ、なぜひっそりと消えた?の画像1
本線の鮫洲駅を通過する京浜急行電鉄2100形。写真のように2100形は扉が前後に2カ所と新幹線や特急用と同じつくりで、車内も通路をはさんで2人がけの腰掛が並び、座席の向きを前後に変えられるという豪華版だ。2100形のインバータは2015年ごろまでに更新され、写真を撮影した2017年6月30日の段階ではドレミファインバータではない。

 いまから20年ほど前、2000年代に入ったばかりのころまで、筆者(梅原淳)は看護師向けの月刊誌の編集者を務めていたことがある。あるとき、京浜急行電鉄(京急)沿線の病院の看護師長と話をしたとき、京急の電車の話題となった。地方の看護学生が就職活動でその病院に向かう際、決まって遅れて来るというのだ。看護学生は電話で遅刻の連絡をする際に決まってこう言うという。

「品川駅から京急の快特に乗って○○駅で下車とのことですが、特急料金を払わないと乗れない電車ばかり来て、間に合わなくなりました」

「京急の快特」とは京浜急行電鉄本線の泉岳寺駅と同久里浜線三崎口駅との間を結ぶ同社の看板列車である。2000年ごろの快特には1998年に登場したばかりの2100形が主に用いられていた。この電車はなるほどJRや他の大手私鉄では特急券を携えていなければ乗車できそうもないような外観と車内の設備とをもつ。

 しかし、京浜急行電鉄は平行するJR線との競争上、2100形に運賃だけで乗車できるように設定していて、いまでも座席指定のウィングサービスの列車に使用されるとき以外は料金は必要ない。地方から上京したばかりの看護学生には同社のサービスが裏目に出て、駅で迷ってしまったのである。

 目を真っ赤にしながら病院に到着した看護学生に対し、看護師長はこう言って気を落ち着かせたという。

「快特の電車は歌っているみたいだったでしょう」

 そう言うと看護学生は笑顔になって、「はい、駅を発車するたびに『ドレミファソラシド』と歌っていました」と答えたという――。

ドレミファインバータの誕生

「ドレミファソラシドと歌う電車」の歌とは何だったのだろうか。車内放送で流されていた音楽ではない。電車の床下、もっと正確に言うと、走行装置である台車に装着されたモーターのコイルが主に発していた音なのである。

 京浜急行電鉄によると「ドレミファソラシドと歌う電車」は通称「ドレミファインバータ」と呼ぶのだという。そして、電車がなぜ音階を奏でるのかも、インバータが鍵を握っている。

 インバータとは直流を交流に変える装置を指す。京浜急行電鉄の線路の上空に張りめぐらされた架線には直流1500Vが流れており、屋根上のパンタグラフを通じて電車の床下へと取り込まれる。一方で2100形のモーターは交流で動くので、直流から交流へと変えなければならない。ここでインバータの出番となる。直流の電気はインバータ内の半導体の働きにより、あたかも切り刻まれるようにして交流へと姿を変えていく。

 交流は電流の強さと流れる向きとが周期的に変わる。その様子を示したものがサインカーブとも呼ばれる正弦波だ。本来であれば正弦波は滑らかな曲線を描いていなければならないが、インバータから出力される交流はどうしてもギザギザが生じた波となってしまう。このギザギザ部分がモーターのコイルを鳴らせる。ドレミファインバータが登場する前まで、インバータの電車は「ウイーン」とか「プー」などと甲高い音が鳴るのが悩みの種であった。

 ギザギザ部分の波に対してはインバータにインダクタンス、キャパシタンスと呼ばれるフィルターを付ければ取り除かれる。ところがモーターが必要とする交流の周波数は動き出すときには低く、スピードを上げるには高い。なおかつスムーズに加速するために周波数を連続して上げる必要がある。残念ながら、決まった周波数のノイズであれば取り除けるフィルターでは効果を発揮しない。

 2100形のインバータを製造したドイツのシーメンス社は考えた。ギザギザ部分によって発せられるノイズをなくせないのであれば、せめて耳障りのよい音にしようと。特にノイズが大きいのは発進時から時速30km程度までだ。この領域で聞こえるギザギザ部分の周波数は、インバータ内の半導体が出力可能な周波数の範囲であれば自由に設定できる。2100形の場合、400Hz以内であればよい。シーメンスは175Hzから400Hzまでの間に9つの音階を設定し、ドレミファソラシドレ、正確にはハ長調のファソラシドレミファソに相当する音階を発生させることとした。こうしてドレミファインバータが誕生したのである。

 ドレミファインバータは2100形だけでなく、同じ京浜急行電鉄が2002年から導入した新1000形という通勤電車の初期製造分にも採用された。また、JR東日本が常磐線や水戸線用にと1995年から1997年にかけて導入したE501系という通勤電車も同じように音階を奏でている。これらの電車のインバータは皆シーメンス社製であった。

IGBTの普及

 時は流れ、ドレミファインバータの更新時期が訪れる。本来ならば長く使いたいところだが、この手の電子製品は故障を予想しづらく、ひとたび調子が悪くなると装置ごと取り替えないと直らない。使用開始から十数年という具合に期間を決めて更新することとなり、2100形やE501形のドレミファインバータはすでに過去のものとなった。そして、新1000形のうち最後まで残った8両編成1本のドレミファインバータも2021年7月20日限りで姿を消している。

 ドレミファインバータに代わるインバータは、さぞやモーターのコイルが鳴る音が耳障りだと思いたくなるがそうでもない。今日では半導体に改良が加えられ、ドレミファインバータも含めて一般的であったゲート・ターン・オフ・サイリスタ(GTOサイリスタ)から絶縁ゲートバイポーラトランジスタ(IGBT)が主流となり、ギザギザ部分の周波数は数kHzから20kHzまでと格段に高くなった。これだけの周波数であれば人間の耳には聞こえづらい。もちろん、2100形や新1000形、E501系に新たに搭載されるようになったインバータの半導体もIGBTである。

 一般に親しまれている鉄道の音というと、まずはガタンゴトンと車輪がレールの継目を通る音、それからシュッシュッポッポという蒸気機関車、近年ではドレミファインバータだ。この先も技術の進展で鉄道がまた新たな音を発するようになるかもしれない。そのときは何と呼ばれるのであろうか。

(文=梅原淳/鉄道ジャーナリスト)

梅原淳/鉄道ジャーナリスト

梅原淳/鉄道ジャーナリスト

1965(昭和40)年生まれ。大学卒業後、三井銀行(現在の三井住友銀行)に入行し、交友社月刊「鉄道ファン」編集部などを経て2000年に鉄道ジャーナリストとして活動を開始する。『新幹線を運行する技術』(SBクリエイティブ)、『JRは生き残れるのか』(洋泉社)、『電車たちの「第二の人生」』(交通新聞社)をはじめ著書多数。また、雑誌やWEB媒体への寄稿のほか、講義・講演やテレビ・ラジオ・新聞等での解説、コメントも行っており、NHKラジオ第1の「子ども科学電話相談」では鉄道部門の回答者も務める。
http://www.umehara-train.com/

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