東京オリンピック・パラリンピックも無事に閉幕した。コロナ禍で1年延期という、これまで経験したことのない困難にもめげずに健闘したすべての選手たちに大きな拍手を送りたい。
国内で開催されるオリンピックというと、新たな鉄道の開業が付きものであった。1964(昭和39)年10月1日開業の東海道新幹線をはじめ、1971(昭和46)年12月16日に開業の札幌市営地下鉄、1997(平成9)年10月1日に開業の北陸新幹線高崎-長野間は、それぞれ札幌、長野の両冬季オリンピックに合わせてつくられた鉄道である。
とはいえ、今回のオリンピック・パラリンピック向けに新しい鉄道は誕生していない。すでに必要な鉄道の大多数が整備済みで、朝のラッシュ時に観客輸送を行おうというのでもなければ十分既存の鉄道でまかなえてしまうからだ。
ところで、新たな鉄道が誕生すると鉄道愛好者は色めき立つ。特に「撮り鉄」といって鉄道の写真を撮ることが好きな人たちは一番列車を追いかけ、始発となる駅に詰めかけたり、沿線に赴いて走る様子をカメラに収める。
撮り鉄がさらに情熱を燃やすのは、新たに開業する鉄道の影で姿を消す鉄道だ。東海道新幹線の影では昼間に東海道本線を走っていた特急列車、札幌市営地下鉄の影では一部を残して廃止された札幌市営の路面電車、北陸新幹線の影では在来線のJR東日本信越線を走っていた特急列車、それから廃止された同じく信越線の横川-軽井沢間である。こうした鉄道の最終日には駅や線路沿いに大勢の撮り鉄が集まり、それこそ押すな押すなの騒ぎとなった。
以前から撮り鉄の評判はよくない。新規開業や廃止、それにレアな列車と、追いかける対象が限られていて大勢が集まりがちな傾向にある。周りの人たちから見ると、それだけでも威圧的な存在だ。それでも行儀がよければよいのだが、一部とはいえ立ち入り禁止の場所に入るうえ、他人の土地を荒らしたり、大声を出して一般の人を脅かしたり、ごみを捨てたりと、傍若無人な振る舞いも目立つ。
マスメディアも撮り鉄の過激な行動を取り上げると視聴率やページビューを稼げるらしく、頻繁に取り上げられる。筆者も行き過ぎた撮り鉄についてコメントした機会は数多い。
関係者の皆様には撮り鉄に代わり、筆者からおわび申し上げたいと存じます。筆者も仕事で鉄道の写真を撮影する機会が多く、周囲から見れば紛うことなき撮り鉄である。撮影の際にはできる限り人のいない場所で行っているが、それでも何かしらの迷惑はかけているであろう。
矛盾と屈折した考え
撮り鉄がなぜ過激な行動を取るのかというと、狭い場所に大勢が集まるからである。「鉄道など長い距離を走っているので、撮影場所はいくらでも分散できるのでは」という意見はごもっともだ。しかし、線路沿いで何両も連結した車両全体を見渡せ、なおかつ公道などだれでも立ち入り可能な場所は案外少ない。勢い、限られた撮影ポイントに集まるか、駅に押し寄せて混乱が生じてしまう。
不思議なことに、大勢が集まる場所に出かけがちであるにもかかわらず、撮り鉄はカメラのフレーム内にできる限り人が入ってほしくないという非常に矛盾、かつ屈折した考えを抱いている。駅での撮影など、一般の旅客も多数いるなか、だれ一人、しかも乗務員や駅員すら入り込んでいない写真を理想としているのだ。近年では撮影した写真をすぐにSNSで発表できる。同好の士から「いいね」をもらいやすい写真とは、車両だけがきれいに収められた写真にほかならないから、さらにヒートアップしてしまう。
ならばだれもいない線路沿いを探すか、高い山にでも登って見下ろすように撮影すれば目的は達せられるのだろうが、案外こうした行動に出る撮り鉄は少ない。実は撮り鉄は撮影という行為を楽しむと同時に、撮影した写真をコレクションの対象としている。この世界では皆がよく知っている場所、つまり大勢が集まる場所で撮影された写真のほうが価値が高く、それこそ「いいね」ももらいやすい。自分だけ突拍子もない場所で撮影して「写真の価値」を下げたくはないのだ。
対策はなかなか難しい。あえていえば、静止画像の撮影はやめて動画撮影一本に切り換えるべきだと筆者は考える。最初から最後まで車両がきれいに収められている動画などあり得ない。その当たり前の事実に気づくだけで、視野が広がるのではないだろうか。
静止画像での撮影をやめたくないという考えも理解できる。となるとカメラの進歩を待つほかない。たとえば、群衆越しに撮影しても車両だけがきれいに写り込むよう、カメラ側から電波を発信してあたかも群衆の最前列から撮影したような画像データを得るといった機能だ。
新たな価値観を創造すべき
話をオリンピックに戻し、1964年の東京オリンピックで姿を消した鉄道に詰めかけた撮り鉄の様子を紹介しよう。時は東海道新幹線の開業前日となる9月30日、場所は東京駅だ。
この日限りで東海道本線を走っていた昼行の特急列車は姿を消した。なかには翌日から東海道新幹線の列車名に転身した特急「こだま」も含まれる。東海道本線の最終の「こだま」は13時30分に東京駅を後にした。著名な鉄道愛好家の撮影した写真を見ると、明らかにホームから線路に降りて撮影されている。断っておくが、東京駅では1914(大正3)年12月20日の開業からいまに至るまで、一般の旅客や公衆が自由に線路に立ち入ることができたときなどない。ならば、特別に許可を得て撮影したマスメディアの関係者ではないかと思う人もいるだろうが、それも異なる。
この著名な鉄道愛好家は国鉄の職員、それもかなり高い役職に就いていた人で、それゆえ自由に撮影できたのだ。部内で記録を残すという大義名分も立ったのであろう。とはいえ、今日では線路に降りての撮影はたとえJRの社員であっても認められない。いやJRの社員だからこそ許されないというのが今日の考え方である。
国鉄の職員としても、鉄道愛好家としても著名な人が線路に降りて撮影しているのだからと、ほかの撮り鉄も同様な行動を選択して撮影した。今日残されている写真から明らかだ。それでも撮り鉄の行動がニュースになるほど報じられなかった理由は、当時はカメラが高価で撮り鉄の絶対数が少なかったからにすぎない。
「混乱がなければ『結果よし』で済むのではないか」との意見もあろう。だが、線路に降りて撮られた写真は、当たり前だが人垣越しの写真ではないので、車両だけが美しく写っている。後年になって、このような写真がお手本と見なされたことも今日の撮り鉄に悪い影響を及ぼしているのではないだろうか。
筆者は特別な日に鉄道の写真を撮影して大勢の人の姿が写っていることなど当たり前と考えるが、撮り鉄にとってはあってはならない一大事だ。先に述べたように根本的な解決策はカメラの進歩を待つとして、それまでの間は価値観を変えるほかない。いまどのくらい影響力があるのか定かではないが、手本となる写真を載せる鉄道趣味雑誌もあえて人垣のなかから撮影された写真を載せるようにしてほしい。そうすればSNSで「いいね」をもらえる写真の有り様も変わる。逆にいうと、価値観の変化を創造できなければ、この手のトラブルは今後も続くであろう。
(文=梅原淳/鉄道ジャーナリスト)