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梅原淳「たかが鉄道、されど鉄道」

鉄道会社にとって悩ましい非常用ドアコック問題…危険性が解消されない意外な理由

文=梅原淳/鉄道ジャーナリスト
電車の非常用ドアコック問題
東海道・山陽新幹線を走るN700Sの扉横に取り付けられた非常用ドアコック。非常時にはふたを開けて中のレバーを上に回すと扉は手で開けられる。なお、非常用ドアコックの左に付いているのは非常時に乗務員と通話可能な緊急通報装置だ (2019年10月30日の報道関係者向け試乗会にて筆者撮影)

 ハロウィーンの晩に京王電鉄京王線の特急列車の車内で起きた刺傷事件は人々に大きな不安を与えた。もう食傷気味というほど取り上げられてきたとはいえ、いま一度あらましを簡潔に紹介しておこう。

 2021年10月31日の19時55分ごろ、調布駅を出発したばかりの新宿駅行きの特急列車の車内で若い男が刃物で他の乗客に切りつけ、携えていたライターオイルで車内に火をつけたという事件である。昨年鉄道で起きた出来事のなかではもちろん、国内全体で起きた事件のなかでも重大ニュースの一つに入るであろう。

 この事件では容疑者が人を刺したことよりも、車内に放火したよりもさらに人々に衝撃を与える出来事が発生した。特急列車は国領(こくりょう)駅に緊急停止したものの、すぐに扉が開かなかったため、大勢の乗客は窓からホームへと脱出したのだ。その一部始終は複数の乗客のスマートフォンで撮影された動画に収められ、テレビで繰り返し放映された。この動画の存在によって、今回の事件はこれだけ大きなものとなったのだといってよい。

 国領駅に到着した特急列車は、本来の停止位置よりも約2m手前に停止した。それでも車掌が車両の扉を開けていれば、今回のような混乱は生じなかったであろう。ところが、この駅にはホームドアが設置されていて、特急列車の扉とは位置がずれていた。運転士はもう少し前進させようと試み、車掌は所定の停止位置に止まったらまずは手動でホームドアを開け、続いて車両の扉を開けるつもりでいたが、肝心の車両が再発進してくれない。乗客が非常用ドアコックを操作して扉を開けたため、安全装置が働いて車両が動かなくなったのだ。

 今回の事件では、運転士や車掌といった乗務員の不手際、それから鉄道側に顕著に見られる傾向として非常用ドアコックを操作した乗客をそれぞれ非難する向きが見られる。筆者としては、どちらもやむを得なかったとしか言いようがない。ホームドアと大きくずれて停車したときに無理に車両の扉を開けたとすれば、避難しようと殺到した乗客が将棋倒しになる可能性があった。一方で、特急列車が駅に停車したのにすぐに車両の扉が開かないというのは、乗客にとって絶望的な状況としかいいようがない。非常用ドアコックを操作したことを責めては気の毒だ。

 筆者を含めて外野の人間は結果を知っているから何とでも言えるが、先がわからない状況では一歩間違えれば即生命を失う危険があった。今回のような事件が発生したとき、運転士は異常事態ボタンを押すだけで、列車が最寄りの駅の所定の位置に自動的に停止し、ホームドアももちろん自動的に開いて避難誘導をスムーズに行えるシステムを導入すれば解決する。

非常用ドアコックとは?

 さて、今回取り上げたいのは非常用ドアコックだ。自動的に開閉する扉をもつ大多数の鉄道車両に付いていて、閉まっている扉を手動で開けられるようにロックを解除する装置を指す。車内、車外のどちらにもあり、車内のものは多くは扉ごとに用意されていて、扉寄りの腰掛の下、それから扉の上の壁、扉横の壁に付いているケースがほとんどだ。

 非常用ドアコックは、文字どおり車内から車外へと避難しなければならないときに備えて用意された。加えて、扉を開け閉めするための戸閉め装置が故障したときなどにも使用する。国の基準では原則として自動的に開閉する扉を備えた鉄道車両には設置しなければならない。例外として、走行用レールの隣に電気が流れているとか、地下トンネルと車両との間隔が40cm未満の区間ばかりを走る地下鉄、それから駅以外では扉を開けても外に出られないモノレール、車体が浮き上がって走行するリニアモーターカーには非常用ドアコックを付けなくてもよい決まりとなっている。

 なお、非常用ドアコックのコックとは気体や流体の通る管に設けられた栓を指す。1990年代ごろまでの車両の扉は圧縮空気の力で開閉するものが大多数で、このような車両の扉を開けるには、普段は開いているコックを閉じて圧縮空気を抜くことで手動で扉が開けられるようになることから命名されている。

 なお、近年製造される車両の扉はモーターによって開閉するものが主流となった。この場合、非常用ドアコックは扉が閉まっているときにかけられている機械的なロックを解除する役割を果たす。特に栓はないけれど、いままでのならわしで引き続き非常用ドアコックと呼んでいる。

 いくつか補足したいのは、非常用ドアコックとは閉まっている扉にかけられているロックを解除するだけのための装置であるという点だ。たいていはレバー式となっている非常用ドアコックを説明に従って操作しただけでは扉は自動的に開かない。ロックが解除されたら取っ手を引いて乗客自身で扉を開ける必要がある。

 それから、非常用ドアコックを操作したからといって、それだけで列車が動かなくなることはない。正確には非常用ドアコックを用いた後、手動で扉を開けると安全上の仕組みで停車中の列車は発進できなくなる。扉が閉まっていないのに列車が駅を出発してしまうといったトラブルを防ぐために採用された。

非常用ドアコックの副作用

 実は大変言いにくいことなのだが、新幹線の一部の車両を除いて、非常用ドアコックは車両が走行中でも操作できてしまう。もちろん扉も開けられるのでとても危険だ。走行中は何が起きても絶対に操作しないでほしい。

 非常用ドアコックは安全上必要なものだが、鉄道会社はできればあまり周知したくないと考えている。理由は単純で、いたずらされるのが嫌だからだ。そして何よりも、異常事態が起きたからといって乗客が何の指示もなく操作して線路に出てしまい、余計に危険な目、たとえば隣の線路を走っている列車にはねられてしまうといった事故を恐れているからである。

 日本で初めて自動開閉式の扉を備えた車両は、1927(昭和2)年に営業を開始したいまの東京メトロ銀座線の車両であった。その後、太平洋戦争前には大都市を走るいまのJRの前身の国有鉄道や大手私鉄の電車を中心に普及している。非常用ドアコックも自動開閉式の扉とともに誕生したものの、その存在はあまり知られていなかった。やはりいま挙げた副作用を恐れていたかららしい。

 ところが、1951(昭和26)年4月24日にいまの根岸線桜木町駅付近で国鉄の電車が火災事故を起こし、状況は一変する。非常用ドアコックの操作方法を知らなかった乗客は燃えさかる車両に閉じ込められ、106人もの人々が犠牲となったからだ。

 事故後、車内に非常用ドアコックが増設され、併せて使い方が掲示されるようになった。「非常の時は下のハンドルを回すとドアは手で開けられます」(「国鉄線」1959年4月号、35ページ、交通協力舎)という具合にである。しかし、1960年代を迎えるころには非常用ドアコックはやっかいな存在となってしまう。衝突したとか火災が起きたというのであればともかく、列車が立ち往生しただけでも乗務員の指示に従わずに勝手に操作する乗客が続出したからだ。

 当時は国鉄であったいまのJR東日本東海道線浜松町-田町間の線路上で1960(昭和35)年6月14日の夕刻、信号機が故障して電車が立ち往生した。一説には乗客は1時間ほど車内に閉じ込められ、しかも悪いことに当時の国鉄の電車には車内放送装置の付いていない車両が多く、この電車でも何の案内もなかったという。しびれを切らした乗客の多くは非常用ドアコックを操作して次々に車外へと出て行く。すると、線路を歩いていた乗客のうち4人が他の電車にはねられて即死するという事故が起きてしまった。

 国鉄は1960年8月になって非常用ドアコックそばの表示を順次改め、「非常時以外は使わないでほしい」という旨の文言を加えている。また、車内の中吊り広告でも非常用ドアコックの正しい使い方、要は鉄道会社にとって望ましい用法をPRした。

非常時に用いるものを常用するのは危険

 以来、60年あまりが過ぎたが、非常用ドアコックの表示は振り子のように揺れ動く。懇切丁寧に記されているときもあれば、非常用ドアコック自体の表示すら出さないときもある。大まかに言うと、前者は大きな事故が起きた直後、後者は事故から時間が経過したときだ。現在は後者に該当する。

 それだけ非常用ドアコックの使い方は難しい。けれども2020年代にもなって解決できないのも考えものである。まずは新幹線の一部の車両と同じように走行中に操作できないように改めるべきだ。それから、非常用ドアコックで扉を開けた場合、「線路に降りる際には周囲の線路を走る列車に気をつけてください」との自動音声が流れるように改めるだけでも、利用者は車外に出る際に気をつけようと思うであろう。

 ほかにも非常用ドアコックに連動して車体側面に取り付けたセンサーやカメラが作動して周囲の状況を乗客に伝えるとともに、乗客が線路をどの方向に避難していったのかを運転士や車掌といった乗務員、それから指令所の指令員に知らせ、スピーカーを通じて乗客を安全に誘導する仕組みも考案されている。だが、ほぼすべての車両でそのような仕組みは搭載されていないし、導入されるかどうかも定かではない。

 設置コスト面での問題もあるけれど、それよりも大きい理由が存在する。非常用ドアコックを平常時にも使用するため、このような機能が作動すると煩わしいのだ。

 非常用ドアコックを常用する例は東京駅といった新幹線のターミナルに行けばそこかしこで目に付く。終着駅に列車が到着し、乗客が全員降りるといったん扉は閉められる。車庫に回送されるのではなく、再び営業列車として折り返す際、車内の清掃作業を担う人たちは非常用ドアコックを用いて扉を開け、車内へと入っていく。そして清掃を終えたら非常用ドアコックのレバーを元に戻して扉を閉める。

 筆者の意見は、非常時に用いるものを常用するのは危険だというものだ。非常用ドアコックを非常時にいかに安全に使うことができるのかを検討する際に、普段使っているのでそのときに不便にならないようにという矛盾した考えが混入してしまっては一向に問題が解決されない。まずは、非常用ドアコックを非常時だけのものと切り分けることから始め、そこから改良点を探るべきであろう。

(文=梅原淳/鉄道ジャーナリスト)

梅原淳/鉄道ジャーナリスト

梅原淳/鉄道ジャーナリスト

1965(昭和40)年生まれ。大学卒業後、三井銀行(現在の三井住友銀行)に入行し、交友社月刊「鉄道ファン」編集部などを経て2000年に鉄道ジャーナリストとして活動を開始する。『新幹線を運行する技術』(SBクリエイティブ)、『JRは生き残れるのか』(洋泉社)、『電車たちの「第二の人生」』(交通新聞社)をはじめ著書多数。また、雑誌やWEB媒体への寄稿のほか、講義・講演やテレビ・ラジオ・新聞等での解説、コメントも行っており、NHKラジオ第1の「子ども科学電話相談」では鉄道部門の回答者も務める。
http://www.umehara-train.com/

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