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「その少年は一三歳の時、高台の洋館に住んでいた一人のお嬢さんが気になってしかたがなかった。
▼赤い屋根。庭にはブランコ。一九三七年(昭和十二)年ごろの福島での話。当時としてはモダンな家だったのだろう。女の子は少年と目が合うと、ニッコリとほほ笑む。少年は洋館の前を行ったり来たりしていたそうだ。
▼約三十年後、大人になった少年はお嬢さんの面影からある人形を考える。今なお子どもたちにかわいがられている『リカちゃん』人形である」
企画するにあたり、ファッションドールというテーマを掲げた。小学生という設定、小さな女の子の手で持てる身長21センチという大きさ、当時流行していた少女マンガのヒロインのような顔立ちが採用された。
67年、リカちゃんを発売した。米マテル社のバービーなど競合製品が先行していたため、初のテレビCMを打つなど広告やマーケティングを徹底した。最初の1年で48万体を売るヒット商品となった。目がパッチリして可愛いという親しみやすい仕様が日本の女の子たちに受け入れられ、発売から2年後の69年には、リカちゃんの売り上げがバービーを上回った。
当時、玩具の流行の期間は1年とされていた。「2年目は別の人形を」と主張する問屋に、佐藤氏は「今年もリカちゃん」と言い続けた。
佐藤氏は、きちんとしたストーリーをつくればロングセラー商品になると考えた。リカちゃんには、両親や妹に弟、大勢の友人の人形が存在する。バービー人形には両親はいないそうだ。狙い通り人気は続いた。小学生の女の子の定番商品となったリカちゃんは、累計販売数が6000万体を超えた。
佐藤氏はリカちゃんのほかにも「人生ゲーム」や「チョロQ」など、数々の人気商品を世に送り出し、「おもちゃの王様」と呼ばれた。
2002年、佐藤氏はタカラの経営から退いた。タカラは06年、トミーと合併しタカラトミーとなった。
佐藤氏は引退後、人材育成に携るNPO法人の理事長などを務めた。10年、86歳にして山形大学で工学博士号を取得したことが話題になり、山形大学の客員教授にも就いた。
日本の女の子たちに可愛がられた「リカちゃん」の生みの親が旅立った。
(文=編集部)
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