1960年代末に、第一銀行の主力取引先である神戸製鋼所で内紛が起き、右翼の大物、児玉誉士夫氏が子分の総会屋である木島力也氏を使って収拾した。当時、第一銀行神戸支店次長を務めていたのが、自殺した宮崎邦次元頭取だ。木島氏の指示下の小池隆一氏が引き起こしたのが97年の総会屋利益供与事件だった。旧日本勧業出身者は、総会屋との癒着は合併前の第一銀行から引き継がれてきたもので、自分たちは関係ないと言い放った。
今回の暴力団構成員への融資問題は、第一銀行が日本勧業銀行と合併して第一勧銀になる以前の第一銀行の時代から脈々と続く、深くて大きい闇なのだ。旧富士銀や旧興銀出身者が「あれは第一勧銀の案件で我々には関係ない」と言うのは、バンカーに備わった防衛本能そのものである。
●変化するみずほ銀行内の勢力地図
銀行業界では今回の事件を契機に、旧3行の勢力地図が塗り替わるとみている。旧第一勧銀の発言力は一層低下する。持ち株会社の、みずほFG社長とみずほ銀行頭取を兼務する興銀出身の佐藤氏の責任は、どう抗弁しようとも免れない。傷ついた第一勧銀と興銀に代わって、勢力を拡大するのは無傷の富士銀という構図だ。
金融業界が注目した人事がある。みずほFGは今後、金融庁からコンプライアンス(法令順守)の徹底が求められるが、9月30日付で持ち株会社とみずほ銀行の法令順守担当に、ともに富士銀のエースと目された人物が就いた。みずほFGの法令順守担当は、副社長でみずほ銀行副頭取を兼務する岡部俊胤氏。富士銀出身の前田晃伸氏が、みずほFG社長時代に秘書室長を務め、「側近中の側近」といわれている。
みずほ銀行は富士銀出身の辻田泰徳副頭取が法令順守を担当した。前田氏が全国銀行協会の会長を務めた際に前田氏の懐刀として活躍したのが辻田氏。行内では「カミソリ」と評されている。
辻田氏と岡部氏は、富士銀勢が「ポスト佐藤」を想定して温存してきた次期トップ候補なのだ。富士銀の両エースが、みずほの再生を担う法令順守を担当したことで、富士銀が興銀から主導権を奪還するとの見方が出始めた。
(文=編集部)