このところ日本郵船は、海運事業の収益力をさらに引き上げようとしている。取り組みの一つとして、3月7日、同社は日本貨物航空(NCA)の売却を発表した。海運と航空ではビジネスモデルが異なる。近年の業績拡大を支えたコンテナ船などの分野にヒト、モノ、カネを集中的に再配分したほうが、成長の可能性は高まる。本業である海運への選択と集中を加速させるために、日本郵船はNCAをANAに売却する。
今後の注目点はいくつかある。なかでも、液化天然ガスの運搬と、脱炭素に関する取り組みの強化の2つは重要だ。ウクライナ紛争などをきっかけに、世界全体で液化天然ガスの運搬や貯蔵ニーズなどは急速に高まった。その分野で日本郵船は事業運営体制を強化し、収益源を多角化しようとしている。また、より多くの需要を取り込むために、日本郵船は脱炭素への取り組みも強化しなければならない。特に、グリーンな燃料を用いたタンカー運航は喫緊の課題だ。世界経済の先行き不透明感が高まるなか、日本郵船がどのように新しい取り組みを進めて収益を獲得するか、多くの注目が集まり始めている。
コンテナ船「特需」を背景とする業績拡大
過去10年間の日本郵船の連結ベースの営業損益を確認すると、2020年3月期を境に業績は急速に拡大した。2012年3月期、同社の営業損益は約241億円の赤字だった。その後、中国経済の成長、米国経済の緩やかな回復などを背景に、コンテナや自動車の運搬の需要は増えた。2015年3月期、同社の営業利益は約662億円に回復した。ただ、その後の業績は不安定だった。一つの要因として、リーマンショック後、世界全体で貿易取引は伸び悩んだ。中国の海運企業の急成長などを背景に価格競争も激化した。日本郵船の収益は伸び悩み、自己資本比率が低下した時期もあった。
一転して、2020年3月期に約387億円だった連結営業利益は、2021年3月期に約715億円、2022年3月期には約2,689億円へ急増した。要因の一つとして、コロナ禍の発生は大きい。感染の拡大を抑えるために各国で都市封鎖や移動制限が行われ、巣ごもり需要が急増した。それによってデジタル家電や日用品などの輸送ニーズが高まった。また、新車の生産が停滞する中で中古車需要も押し上げられた。米国では失業給付の特例措置などによってコロナ禍が発生する以前よりも、一時的により多くの所得を手にする人も増えた。米国の個人消費は勢いづき、世界的なコンテナ船の特需が発生した。
特に、2021年の年末商戦に向けて米国企業は中国からの輸入を増やした。クリスマスプレゼントとしての玩具をはじめ、日用品、アパレル製品などの在庫は積み増された。海運市況の上昇は一段と鮮明化した。コンテナ不足、タンカーの争奪戦に拍車がかかり、2022年2月ごろまで米西海岸のロサンゼルス港やロングビーチ港では洋上に停泊し、荷下ろしを待つコンテナ船が急増した。こうして日本郵船の業績は急速に拡大した。
ただ、強気な市況が長く続くことは難しい。2022年3月以降、FRBはインフレを鎮静化するために急激に利上げなどを行い、金融を引き締めた。米国では小売業などで過剰な在庫を抱える企業も増えた。2022年夏場以降、中国から米欧に向かうコンテナ船の運賃は下落し、海運市況は軟化した。
需要高まる液化天然ガスの運搬
その状況下、日本郵船は長期の視点で新しい収益源を確立しようとし始めた。それは、3月10日に発表された中期経営計画から確認できる。同社は2050年までの超長期の世界経済の展開予想に基づき計画を策定した。具体的に、インドなどアジア新興国の役割が急速に増大し、消費は増大する。また、気候変動の激化、地政学リスクの高まり、脱炭素の加速、デジタル化の加速も鮮明となる。それによって、コンテナ船以外の分野でも海運サービスで新しい需要が増えるとの予想だ。
それに基づき、同社は本業である海運事業の競争力をさらに引き上げようとし始めた。その一つの戦略に液化天然ガス(LNG)輸送能力強化が掲げられた。近年、エネルギー源としての天然ガスの重要性は一段と高まっている。他のエネルギー資源に比べ、天然ガスは燃焼時の温室効果ガス排出量が少ない。そのため、主要先進国だけでなく新興国でも、天然ガスの需要は増えると予想される。上乗せするようにして、ウクライナ紛争によって、ドイツなど欧州各国はパイプライン「ノルドストリーム1」を通してロシアから天然ガスを調達することができなくなった。ドイツは急速にLNGの受け入れ体制を整備しはじめ、2022年12月には同国初の受け入れ基地が操業を開始した。ロシアからの天然ガス供給の途絶に対応しつつ、安定したエネルギー供給のために、欧州やわが国、アジア新興国などで、液化天然ガスの受け入れ体制は強化されるだろう。長期的にLNG運搬船の需要は高まる可能性が高い。
日本郵船にとってLNGの運搬体制を強化することの重要性はさらに高まるだろう。LNGの運搬契約は10年単位の長期的なものが多いといわれている。短期の需要変動に左右されやすいコンテナ船事業に比べ、LNG運搬体制の強化は収益の安定性向上につながる。将来の業績の予見性も高まるだろう。それは日本郵船が長期の視点で事業戦略を立案し、より成長期待の高い分野に経営資源を再配分していくために欠かせない。2026年度までに日本郵船はLNG輸送体制強化のために3,000億円を投じる計画だ。
徹底した強化が不可欠な脱炭素
日本郵船は脱炭素に関する取り組みも強化する。特に、船舶燃料の脱炭素は喫緊の課題だ。具体的な取り組みとして、日本郵船は、既存のタンカーの燃費効率の向上に加え、アンモニアやメタノールを用いた船舶運用技術の実用化を急いでいる。なかでも、グリーンな(再生可能エネルギーを用いるなどして二酸化炭素を排出せずに生産された)燃料の利用が急がれている。
世界の企業にとって、脱炭素への取り組み強化は、社会の公器としての責任を果たすために必須の要素だ。また、足許では半導体など先端分野での米中対立、中国の成長鈍化懸念、ウクライナ紛争など地政学リスクの高まり、インドの急速な経済成長などを背景に、世界全体で供給網の再編が激化している。世界の企業にとって、脱炭素に対応した海運サービスを活用し、より安定、かつ強靭な供給網を確立することの重要性は急速、かつ一段と高まっている。船舶運航の脱炭素を早期に実現できれば、日本郵船は長期にわたって顧客企業とウィンウィンの関係を強化できるだろう。
ただ、そうした取り組みは一筋縄にはいかない。特に、3月上旬以降、米国やスイスで銀行の経営不安が高まった。一方、現在の世界経済では全体としてインフレ圧力は高止まりしている。過去の調整局面と異なり、FRBやECBなどは金融を引き締めてインフレ鎮静化に取り組みつつ、金融システムの安定と過度な景気の落ち込みに配慮しなければならない。金融政策のかじ取りの難しさは一段と高まっている。今すぐではないにせよ、世界全体で金融市場と実体経済の不安定感は高まり、日本郵船の収益性が鈍化する恐れは増している。
そうしたリスクに対応するために、日本郵船はコンテナ船運営事業の効率化も急がなければならない。内外のIT先端企業などと連携し、省人化やターミナル運営の自動化が目指されるだろう。それは、コンテナ事業の固定費の圧縮に資す。また、世界経済の先行き不透明感が高まるに伴い、世界的に株価は下押しされやすくなる。それは日本郵船がコストを抑えて成長分野での買収戦略を実施する重要な機会になるはずだ。同社は2026年度までに総額1.2兆円規模の投資を計画している。先行き不透明感高まる中、同社がリスク管理を徹底しつつスピーティーに投資を実行し、競合他社に対する優位性を発揮することが求められる。
(文=真壁昭夫/多摩大学特別招聘教授)