22日発売の「週刊文春」(文藝春秋)は、トヨタ自動車の豊田章男会長が自身にとって耳の痛い意見を言う役員を次々と降格・退任させる人事を行い、独裁的経営を行っていると報じている。記事内では現役社外取締役である菅原郁郎氏や元役員が実名で豊田会長に対して批判的なコメントをするなど異例の事態となっているが、豊田会長がお気に入りの元コンパニオンの女性を社長室マネージャーに抜てきし、自身の身の回りのお世話などもさせているという。グループ企業である日野自動車、ダイハツ工業、豊田自動織機で相次いで不正が発覚し揺れるトヨタで今、何が起きているのか。業界関係者の見解を交えて追ってみたい。
2023年4~12月期連結決算(国際会計基準)で営業利益が4兆2402億円と、日本企業で初めて4兆円を超え、24年3月期通期の純利益が前期比84%増の4兆5000億円と過去最高益を更新する見通しのトヨタ。業績拡大が続く一方、足元ではグループ企業の不正が続いている。22年、日野自動車はエンジンの排出ガスや燃費の試験で不正を行っていたと公表。23年、ダイハツは完成車の試験不正に伴い出荷停止を実施。同年、豊田自動織機はエンジン認証試験で不正を行っていたことを公表した。
一連の不正で焦点となっているのがトヨタとの力関係だ。たとえばダイハツは1998年にトヨタ自動車の連結子会社となり、16年にトヨタの完全子会社となったが、13年以降、トヨタへのOEM供給車を増やしており、今回の不正により出荷停止となるトヨタの車種は22に上る。トヨタの中嶋裕樹副社長は昨年12月20日の記者会見で「(トヨタへの)供給が増えたことが、現場の負担になっていたと認識できず、反省している」と語っている。
<前社長の三井正則氏はプロパーだったが、ダイハツの歴代社長の多くがトヨタからの片道切符の出向者。しかもトヨタ社内で評価が低かった人が少なくない。このため、ダイハツのプロパー社員を下に見て、現場にプレッシャーをかけ続けていたといわれている。今回の不正に関する第三者委員会の調査で、なぜ不正をする前にスケジュールの遅れを上長に言わなかったかを聞かれた社員が『言っても無駄だから』と答えているが、トヨタ出身の社長ら経営陣が現場の意見などに聞く耳を持たないという感覚が社員に染みついていた。
ダイハツが主力とする軽自動車はスズキが30年以上、市場トップシェアだった。これを打開するため、ダイハツはトヨタによる全面的なバックアップを受けて新型車を相次いで投入するとともに、テレビCMを積極展開。『自社登録』と呼ばれる見せかけの販売台数を積み上げたこともあって、06年度にダイハツがシェアトップを奪取し、その後もトップを堅持してきた。しかし、不正件数が急増し始めた14年は、スズキが『ハスラー』のヒットでシェアトップを奪還した年。トヨタの指示もあって軽市場シェアトップに返り咲くため、新型車を短い開発期間でどんどん投入することを迫られたことから、決められた試験を実施しないといった不正に走ったことは想像がつく。
さらに、16年にダイハツがトヨタの完全子会社となって、トヨタグループの新興国向け小型車の開発を担当することになると、ダイハツの開発部門の負担は一気に増えた。それまでも『短期開発』の名のもと、開発スケジュールの遅れは一切認められないことから不正に手を染めてきたのに、さらにトヨタの新興国向け小型の戦略車開発まで担当させられることになり、負担が増した。
それだけではない。ダイハツはトヨタから間接部門の人員削減を迫られたことから、法規認証室の人員を大幅に削減してきた。人手不足と開発モデルの増加、さらに開発スケジュールの遅れが一切許されない状況のなかで、現場の従業員は不正に走るしかない状況に追い込まれたわけで、親会社トヨタの責任は重い>(自動車業界を取材するジャーナリスト・桜井遼氏/23年12月26日付当サイト記事より)
懲罰人事
「文春」記事内では、豊田会長に苦言を呈した役員が相次いで放逐されているとも綴られているが、豊田会長による「好き嫌い人事」は以前から指摘されていた。たとえば、18年1月1日付人事で、当時デンソー副会長だった小林耕士氏がトヨタに呼び戻されるかたちで副社長就任。その背景について17年12月20日付当サイト記事は次のように報じていた。
<小林氏はトヨタ出身だが、2003年にデンソーに移っており、その副会長といえば「完全に上がりのポスト」(サプライヤー)。しかも年齢も69歳とトヨタが内規で定めている副社長の年齢上限65歳を大きく上回っている。
その小林氏がトヨタの副社長という要職に就くのは、豊田氏との人間関係にほかならない。小林氏は豊田氏がトヨタの一般社員だった頃の上司で、2人の関係は近い。「小林氏が豊田氏のお守り役」というのは名古屋では有名な話だ。
小林氏は経理畑で、トヨタ復帰後はCFO(最高財務責任者)に就任する。このお友達人事で割を食ったのが現在CFOを務める永田理副社長で、小林氏の就任で居場所を失って副社長・CFOを退任することになる。来年6月の定時株主総会までは取締役として残るものの、その先はないと見られる。永田氏は「現在のトヨタ経営陣のなかで唯一、章男さんにはっきりものを申せる人」(トヨタ関係筋)で、それだけに豊田氏にとっては煙たい存在だった。
そもそも永田氏は豊田氏が社長に昇格する前まで、将来の社長候補の1人と見られるほどの実力を持っていた。豊田氏は経理畑出身の小林氏をトヨタに復帰させることで永田氏を排除する、つまり一石二鳥というわけだ>
また、17年に日野自動車の社長にトヨタの常務役員だった下義生氏が就任した人事の裏側について、同年3月3日付当サイト記事はこう報じていた。
<下氏は昨年(16年)、日野の専務からトヨタの常務に転じたばかりで、1年で出身母体に戻って社長に就くのは異例だ。そしてトヨタ専務の牟田弘文氏が日野に移って副社長に就任する。トヨタで常務だった者が社長で、専務だった者が副社長になるわけで、「逆転現象」が起こってしまった。この人事こそが「懲罰」とトヨタ社内ではみられている。
トヨタ社内の事情通がこう解説する。
「牟田専務は2つの点で豊田社長の逆鱗に触れました。ひとつは昨年4月から導入したカンパニー制導入に対して、自動車メーカーにはそぐわないと言って猛反対したことです。二つ目は、2年前に中国天津の物流拠点で爆発事故があった際に、トヨタの工場も被害を受けて従業員が負傷しました。その際に豊田社長が現地に乗り込もうとしたら、牟田専務が『いまは現場が大混乱しているので日本から経営トップが入る局面ではありません』と意見具申したことに、豊田氏は腹を立てました。それ以来、ほかの役員がいる前でも牟田氏を執拗に批判するようになりました。そしてカンパニー制への反対が懲罰人事を決定づけました」
牟田氏の意見がおかしいわけではなく、正論を言ったにすぎない。この牟田氏は、トヨタの工場の生産ラインを建設するなど工場運営を任せられる生産技術部門の「エース」といわれた逸材で、トヨタの生産性向上などに功績のあった人物でもある。
歴代、生産技術系の役員は歯に衣を着せぬ物言いの人が多い。是々非々と意見を戦わせながら現場で工場運営に携わるタイプが多く、牟田氏はその伝統を受け継いでいた。トヨタ社内では自分の意見を言わず、豊田社長の意向を忖度する幹部が増えたなかで、正論を意見具申できる数少ない役員だった>
世襲への布石
そんなトヨタの人事で大きな注目を集めたのが、20年の副社長職の廃止だ。
<トヨタでは、(20年)4月に降格となる4人の副社長を含めて、執行役員の21人は全員、同格の立場となる。つまりトヨタの業務執行の階層は社長と、その下にそれぞれ担当を持つ執行役員が並列でぶら下がるだけで、社長に権限を集中させる。サプライヤーなどから「最早、章男氏の暴走は誰も止められない」との懸念も出ている。
トヨタは2019年に常務役員、常務理事、基幹職1級・2級、技範級を一括りして「幹部職」に集約した。これが(豊田氏の息子の)大輔氏を幹部にするのが目的と見られている。大輔氏は現在、トヨタの自動運転技術の開発子会社TRI-ADのシニア・バイス・プレジデント。以前ならトヨタ本体に復帰した場合、無理に昇格させても「基幹職2級」程度どまりと見られるが、制度改正でいきなり幹部職に就くことができるようになった。加えて、従来、トヨタの社長は副社長の中から選抜してきたが、今回の副社長職の廃止で、次期社長候補となる執行役員に大輔氏が就くまでの期間を大幅に短縮できる>
その一方、豊田会長と親しい人物は人事面で抜擢されてきた。17年に59歳の若さで副社長に就任した友山茂樹氏は、テレマティクスサービス「G-BOOK」の立ち上げなどで豊田氏と一緒に仕事をした経験もあることから2人は親密な関係といわれ、社内では「お友達」といわれていた。友山氏は一時はコネクティッドカンパニーとガズーレーシングカンパニーの2つの社内カンパニーのプレジデント、TPS本部、事業開発本部、情報システム本部の3つの本部長を務めるなど、重用されていた(すでに執行役員を退任)。
トヨタ関係者はいう。
「今回の『文春』記事内で注目されるのは、章男さんからの覚えがめでたい執行役員の小林耕士さんと長田准さんが、2人そろって章男さんが決めたある人事に苦言を呈したというエピソードだ。章男さんにモノを言えばどうなるのかを十分にわかっている2人が、こうした行動に出るというのは、よほど今の状況に危機感を持っているということ。
もともと章男さんの前任社長だった渡辺捷昭さんは、章男さんを評価しておらず、章男さんを社長にする気はなかった。そこにリーマンショックの影響でトヨタが巨額の赤字を計上することになり、09年、章男さんの父・豊田章一郎さんが渡辺さんにその責任を取らせるかたち退任させ、半ば強引に章男さんを社長に据えた。その後、トヨタの業績は見事に回復し、章男さんには数字に裏付けされた実績と自信がある。一方、章男さんは創業家出身者であるがゆえに、トヨタに入社して以降、社内では陰に陽にさまざまな視線や声を浴びせられ、トヨタという会社の人間に対して複雑な感情を抱く部分もあるだろう。そうした感情と経営者としての自信が重なり合い、自身に対し耳障りなことをいう人物を排除するという行動に出るのかもしれないし、実際に今の章男さんには排除できてしまう力がある。
ただ、業績回復を遂げられたのは、当然ながら章男さんだけの力によるものではないし、今のような異物を排すかのような人事を続けていれば、業績が好調なうちは良いかもしれないが、長い目でみればトヨタの実力を削ぐことにつながる。その代償は将来、息子の大輔さんが社長になってから一気に表面化するかもしれない」
マスコミへの過敏な反応
豊田会長といえばマスコミ嫌いでも有名だ。
「かつてトヨタに関する報道が原因で日本経済新聞や毎日新聞が一時的に記者会見に出入り禁止になったこともあるように、一部のメディアに対してだけ取材拒否をするということはかつて見られた。情報を自社の意図どおりに発信する場を設けるために19年にはオウンドメディアの『トヨタイムズ』を立ち上げるなど、とにかくメディア各社の報道には神経過敏になっている」(全国紙記者)
21年3月9日付当サイト記事でも以下の全国紙記者の証言を伝えていた。
「トヨタ広報は、決算や各種発表の際、事前に新聞各社の担当記者に⾒出しやトーンなどを教えるよう電話で迫るのが常態化しています。これだけでも十分な『圧力』なのですが、ひどいのは実際に記事が配信されたり、掲載された時です。最近はどこのメディアも⾃社のホームページで当日に記事をアップしていますが、その見出しや内容が気に入らないと、即座に現場記者に『後ろ向きの記事ですね』『弊社の販売努⼒をなぜ取り上げないんですか?』などの嫌がらせの電話がかかってくる始末です。他の企業だと、どれだけ⾃社に批判的なことを書かれても後⽇嫌みを⾔ってくるくらいです。事実誤認でもないのに、こんなことは前代未聞で驚いています」
(文=Business Journal編集部)