慶応義塾長の伊藤公平氏が3月27日に開かれた文部科学省の中央教育審議会大学分科会の「高等教育の在り方に関する特別部会」において、国立大学の学納金を現在の約3倍にあたる年間150万円程度に値上げするという提言を行い、議論を呼んでいる。その理由について伊藤学長は「国公私立大学の設置形態に関わらず、大学教育の質を上げていくためには公平な競争環境を整えることが必要である」「私立大と短大は、公平な土壌で建学の精神に基づく経営努力に取り組むことができる」(部会への提出資料より)としているが、SNS上では「低所得世帯の子の大学進学の機会を奪う」といった批判があがる一方、賛同する声もみられる。加えて伊藤塾長は文系学部において「学部+修士課程」をセットとする5年制のディプロマコース教育体系を国レベルで系統的に導入することも提案しているが、これらの提言は妥当といえるのか。専門家の見解を交えて追ってみたい。
私立大学と国立大学の学納金には以前から差がある。国立大学の学納金は文科省の省令で年間53万5800円と定められており、基本的に大学や文系・理系問わず学部で大きな差はない。一方、私立大学の例として慶応義塾大学は140万円(全学部生の加重平均値)となっており、概ね「国立大は私大の3分の1」というのが相場だ。ちなみに医学部の場合、国立大学だと6年間の総額は入学金含めて約350万円だが、私立大学だともっとも学費が高いとされる川崎医科大学は約4700万円となり、その差は約13倍にも上る。
「地方では普通のサラリーマン世帯や農家や大工など自営業の世帯の優秀な子が、地元の公立高校から国公立の医科大学に進学して医師になるというパターンが珍しくない。一方、東京や大阪などの都市部では私立高校を出て医学部専門の予備校で浪人して私立の医科大学へ進学するというケースもあり、同じ医学部進学でもそれまでにかかる教育費には天と地ほど大きな差が存在する」(大手予備校関係者)
こうした私立大学と国立大学の学納金の差の是正を唱えるのが、伊藤塾長による今回の提言だ。伊藤塾長は文科省の特別部会に提出した資料のなかで次のように提言している。
・国公私立大学の設置形態に関わらず、大学教育の質を上げていくためには公平な競争環境を整えることが必要である。
・国立・公立大学の家計負担(学納金)は150万円/年程度に上げる。このことで一部の私立大学では経営努力により国立より低水準の学納金設定で公平な競争に参加できる。
・国立大学は一人当たり100万円の学納金増加により4,300億円/年の増収を得るので、運営費交付金の受給額が減るが、総額としては大学の収入が増える方向性を確保する。
・国公私立大学の設置形態に関わらず、個人の経済状況に応じた奨学金制度を設計し、家庭の収入等の基準による公平な支援を設計する。
これに対しSNS上では以下のようにさまざまな声はあがっている。
<要は学生のことを全く考えずに私学の経営の立場だけから、国立にはまともに対抗しても同じ水準の教育資源を提供できないから、足引っ張らせてくださいって言いたいのは分かった>
<低収入家庭の大学生が排除されるから学生の一様化が進むし、大学で学問を修め、収入を得ようとする層を潰すことになるから社会からも多様性を剥ぎ取ることになる>
<あまりにも利己的>
この提言をどう評価すべきか。大学ジャーナリストの石渡嶺司氏はいう。
「やや暴論だという印象をぬぐえません。安倍政権でスタートした高等教育の修学支援新制度は現在も続いており、国は大学の授業料無償化の検討という方向に流れていますが、これにも逆行します。国立大学の収入が増えるので一見すると国立大学にメリットがあるように見えますが、受験生が国立大学を目指す大きな理由の一つは学費の安さなので、その前提が崩れると学生が私立大学に流れる可能性もあり、ある意味で“国立大学クラッシャー”的な政策といえます。
いくら奨学金制度を設けるといっても、国立大学に進学する子の世帯としては一時的に負担が増えたり、将来の返済義務を負うケースも考えられるので、進学のハードルになります。大学経営の予算が足りないというのは事実かもしれませんが、高等教育の拡充は国としての将来への投資という意味合いが強いので、大学のなかで国立大学だけを値上げするという方策より税金を投下するほうが妥当でしょう。
国立大学には私立大学よりも国から潤沢な補助金が入っているため不公平を生じさせているとの指摘も以前からありますが、トップクラスの国立大学は研究機関としての性格を強く帯びており、研究内容によって補助金が配分される面もあるため、大前提として不公平があるのは当然ともいえます」
予備校関係者はいう。
「東京大学や京都大学に進学する世帯の年収が高い傾向があることは事実ですが、学費が安い国立大学があるおかげで大学に進学できる子が存在することは紛れもない事実です。『学費が年間150万円の私大なら無理だけど50万円ならなんとかなる』ということで国立大学に進学するケースは多く、国立大学の学費を値上げすれば低所得世帯の子の高等教育を受ける機会が奪われてしまいます。奨学金を用意するといっても受給にはさまざまな条件が設定されており、誰でも受給できるとは限らず、また貸与制であれば多額の借金を背負うことになる。私立大学が不公平な競争を強いられているから国立大学の学費を上げるというのは、完全におかしな話です」
ディプロマコース教育体系
伊藤塾長は、国立大学と公立・私立大学の文系学部において「学部+修士課程」をセットとする5年制のディプロマコース教育体系を国レベルで系統的に導入することも提案しており、その理由について以下をあげている。
・文系学生の多くが3年生から就職活動に注力し、就職活動が終了すると勉学意欲を失う例が散見される。2年生でも授業時間以外の自由時間で、予習・復習・宿題・課題といった学習に充てる時間は全分野平均で「週5時間以内」が49%と低水準である。
・少なくとも3年生の終わりまでは就職活動に煩わされることなく学問に集中し、また、5年生(修士)修了時にも論文執筆などの高等な修了要件が課される。
・最初の3年間の学びの時間の実質化により、学問の楽しさを実感し、学びを積み重ねる実力をつけ、学者や専門職を目指す学生が増える。社会人になっても新しい挑戦のために学び続ける実力をつける。
前出・石渡氏はいう。
「文系学生では3年次から就活が始まるというのは事実であり、一部の大学でこのような体系の導入を検討する動きが出ているのは確かですが、問題は企業側がどう考えるかです。修士号を持つ理工系の人材をきちんと確保しようとする意識は以前から企業側に根強く、新卒の初任給でも学部卒と修士修了者に差をつけています。一方、企業は文系の学生は学部卒も修士修了者も同じ扱いにするという建前に一応はしていますが、先輩社員より後輩社員のほうが年齢が高くなったりすると何かと面倒だという理由などから、新卒社員については入社時点での年齢をできるだけ同じに揃えたいと考える企業が多いのが実情です。近年では修士修了者を積極的に採用しようとする企業が出始めてはいるものの、大きくは増えていません。国が大企業に対して、採用の一定比率以上をディプロマコース卒業生にするようルールを設けるなどしない限りは、普及は難しいのではないでしょうか」
大手メーカー管理職は言う。
「要は修士修了に意味があるのかどうかという点に尽きます。企業が理系学生については修士号を持つ人材を積極的に採用しているのは、企業側にとっても有益な知識やスキルを身につけていると判断しているからです。一方、文系学生については修士までの知識は必要がないと考えているので、5年かけて学部と修士課程を終えた人材を積極的に採用しようとは思わないでしょう」
(文=Business Journal編集部、協力=石渡嶺司/大学ジャーナリスト)