AIだけが進化し、データは眠ったまま…日本企業DXを阻む「見えない壁」の正体

●この記事のポイント
生成AIへの投資が拡大する一方、多くの日本企業がPoCから本番導入へ進めない背景には、「データ活用基盤」の未整備がある。ネットアップ合同会社の斉藤千春社長は、ハイブリッドクラウドによるデータ統合や非構造化データの活用、AI時代のデータ主権・デジタル主権の重要性を解説。アンソロピックを巡る事例も踏まえ、日本企業のDXを阻む課題と解決策を語る。
生成AIへの投資は急速に拡大している。しかし、その一方で多くの日本企業は依然として「PoC(概念実証)」の段階から抜け出せていない。多額の投資にもかかわらず成果に結びつかない——その要因は、AIモデルの性能でも予算でもなく、「データの扱い方」にあるという。
NetAppは、創業30年以上の歴史を持つデータ管理・ストレージの専業ベンダーだ。オンプレミスからマルチクラウドまで、企業のデータ基盤を一元管理するプラットフォームを提供し、AI時代の「見えないインフラ」として存在感を高めている。
本稿では、日本法人の代表執行役員社長・斉藤千春氏に、日本企業の抱えるデータ活用の課題から、ハイブリッドクラウドの現実、そしてアンソロピックの突然停止事件が浮き彫りにした「デジタル主権」の問いまでを聞いた。
●目次
- DXの「最大の勘違い」――データは保管するものではない
- 「クラウドかオンプレか」という問い自体が間違い
- PoCで止まる企業と、成果を出す企業の決定的な差
- 眠れる資産を黄金に変える「探せて、使えて、守れる」の原則
- 日本企業のポテンシャルと、スピード感という壁
- 「データのオーナーシップ」——アンソロピック停止が問いかけたもの
DXの「最大の勘違い」――データは保管するものではない
DXという言葉はいまだに企業の戦略資料に顕出する。しかし実態を見ると、「システムを入れ替えた」「クラウドに移行した」といった取り組みにとどまるケースが少なくない。
斉藤氏はこの状況を「最初のボタンの掛け違い」と表現する。
「多くの企業は、DXをシステム導入から始めようとしています。本来重要なのは、データをどう活用し、どのような価値を生み出すかです。しかし実際には、データが分散していて活用できない状態にある企業が多い」
その背景にあるのが「データを保管するもの」という根強い認識だ。データは活用して初めて競争力になる資産だが、多くの組織では依然としてコストセンターとして扱われている。この認識のズレが、DX投資を「整理整頓」で終わらせている。
斉藤氏が就任してちょうど1年。前職の日本オラクルではクラウドシステム事業を統括し、その前は日本ヒューレット・パッカードに22年間在籍。ストレージ部門のゼネラルマネージャーとして、データインフラの最前線をリードしてきた。現場を知り尽くしたキャリアの先に、この課題が見えている。
「データをいかに活用するかという重要性は、多くの方がすでに認識されています。しかし、では具体的にどう進めるのか、という実行フェーズにまでは、なかなか踏み込めていないのが現状です。私たちはまず、分散しているデータを統合する – そこからお客様への提案を始めています」
「クラウドかオンプレか」という問い自体が間違い
「あらゆるシステムをクラウドへ移行する」という時代は、静かに転換点を迎えつつある。
コスト、セキュリティ、そして国際的な地政学リスク。三つの圧力が重なり、企業のITインフラに対する見方が変わってきた。斉藤氏は「オンプレミス回帰」という言葉を使いながらも、それを単純な揺り戻しとは見ていない。
「クラウドかオンプレかという二択の議論自体が、もうナンセンスだと感じています。お客様が考えるべきなのは、IT投資がどれだけビジネス価値に結びついているかを継続的に可視化できているかどうかです」
そのうえで斉藤氏が重要視するのが、コストの透明性・投資の効率性・売上への貢献という三つの評価軸だ。クラウドは柔軟性が高い一方、管理が不十分だとコストがブラックボックス化する。オンプレミスは、使い切れなければ過剰投資になる。どちらか一方に偏ることで、本来見えるはずのコストが見えなくなる。
「重要なのは個別の環境ではなく、全体最適の視点でコストと価値を結びつけて把握すること。それが、ハイブリッドクラウドという世界での評価軸を持つことで、ITコストのブラックボックス化を防ぎ、より戦略的な投資判断が可能になっていくと感じています」
評価基準は顧客ごとに異なる。5年に1度のシステム入れ替えが本当に正しいのか。資産としてのOpex(運用費用)とCapex(設備投資)のバランスをどう取るか……答えは一つではない。だからこそ、ベンダーではなく「伴走者」としての関係が求められると、斉藤氏は続ける。
PoCで止まる企業と、成果を出す企業の決定的な差
もはや、企業の活動において生成AIは、なくてはならないものになりつつある。しかし、導入を検討しても、本番稼働に至る企業は依然として少ない。本サイトの取材でも「PoCの段階で止まってしまう」という声が繰り返し聞こえてくる。
斉藤氏はその原因を明確に語る。
「PoCで止まる企業と、成果を出す企業の大きな違いは、AIの精度ではなくて、データをどう扱っているかという点にあります。PoCでは限定的で整ったデータを使って結果を出しますが、実際の業務では、データは分散していて、形式もバラバラで、そのままでは使えないのが通常です」
このPoCと現場の断絶ともいえるギャップが、実装を難しくしている。一方で成果を出している企業は、最初から「実データを継続的に使える状態に整備すること」に投資している。いわゆる「AIレディ」な基盤を先に構築することで、データ量が増加しても、形式が多様化しても、破綻しない仕組みとして機能し続ける。
日本企業の特性として、組織の縦割りや前例踏襲主義が、変革の壁になるケースも多い。こうした構造の中で斉藤氏が提案するのが、「小さく始める」というアプローチである。
「大きな刷新を一気に求めるのは、日本の企業様にとって非常に難しい。まず小さく始めて成果を出し、それを横展開する。実際に成果が見えてはじめて、投資を拡大しようという意思決定に変わっていきます。その成功体験を積み重ねることで、マインドセットの変化が生まれてくるというのが、私たちの戦略です」
海外企業がトップダウンでデータ整備を断行できるのとは異なり、日本では「なぜそうなったか」という経緯への敬意が、変革のスピードを大きく左右する。その前提を否定するのではなく、経営インパクトとして可視化することで壁を超えていく——斉藤氏は、その伴走型の支援こそがNetAppの強みだと位置づける。
眠れる資産を黄金に変える「探せて、使えて、守れる」の原則
IDCや各種調査会社は、企業が保有するデータの大半(一般に8〜9割程度)が文書や画像、動画などの非構造化データだと指摘している。構造化されていないがゆえに検索にも引っかからず、活用もされないまま、ただコストとして眠り続けている。
斉藤氏はこれを「廃棄物に近い形」と表現する。しかし、その言葉には嘆きよりも、むしろ戦略的な視線が込められている。
「重要なのは、非構造化データを貯めるものとして捉えるのではなく、最初から価値を生む資産として扱うこと。そのために必要なことをシンプルに言えば、『探せて、使えて、守れる』状態にすることです」
どこに何があるかを把握し、必要な時に取り出せる。部門を超えて活用でき、かつ安全に扱える。この三条件が揃って初めて、データは競争力になる。さらに斉藤氏が強調するのが「アクセス権の継続性」だ。
データをクラウドに移動した際、それまで付与されていたアクセス権限がリセットされ、手動で付け直す作業が膨大に発生する——これは多くの企業が直面する現実だ。NetAppのストレージ上にあるデータは、クラウドへ移動してもオンプレミスに戻しても、アクセス権限がそのまま引き継がれる。そのため、AIに「見せてはいけないデータ」を適切に隔離しつつ、権限管理を維持したままデータを活用することが可能になる。この設計は、データ量と関係者が多い大企業ほど大きな意味を持つ。
「これからAIをどんどん使いたいけれど、このデータはAIに見せてはいけないというものをどう管理するか。そこが、お客様のデータへの信頼感に大きく影響するところだと感じています」
日本企業のポテンシャルと、スピード感という壁
さて、生成AIによって明るい未来が語れる一方で、現代の日本から右肩下がりな状況にあるという意識が消えることはない。裏付けはともかくとして「日本は衰退している」という論調を、至る所で耳にする。斉藤氏はそれをどう見ているのか。
「日本だからこそ作り上げられるものは、たくさんあると思っています。製造業のものづくりの技術力も、積み重なってきた現場のノウハウも、非常に高いレベルにあります。ただ、それをアピールする力というか、外に見せていく発信が、まだ弱いと感じています」
SNSやAIを活用することで、中小企業でも海外から購買が生まれる時代になっている。問題は、そのポテンシャルを引き出す「視点の広げ方」だと斉藤氏は続ける。日々のルーチンワークに集中するあまり、自社の強みを客観的に捉える機会が失われ、結果として外に打ち出せていない。そこにこそ、スピード感を取り戻す余地がある。
リーダーシップについて尋ねると、斉藤氏は自身の経験からこう語った。
「100点の情報を整えてから判断するのではなく、一定の前提で進み、必要に応じて見直していく。変化のスピードそのものが競争環境を左右する時代において、判断を先送りすることによる機会損失は、どんどん大きくなっていきます」
この言葉は、自社の経営哲学であると同時に、日本企業全体への処方箋でもある。
「データのオーナーシップ」――アンソロピック停止が問いかけたもの
さて、この取材の直前になって、ぜひとも聞いておかなくてはならないテーマが浮上した。
2026年6月12日、米政府はAI企業アンソロピックのフロンティアモデルであるFable 5(ファブル)・Mythos 5(ミュトス)について、国家安全保障上の権限を根拠に輸出管理指令を発令した。外国籍の人物によるアクセスを全面停止するよう求めたこの指令は、アンソロピックのCEOへの書簡という形で届き、同日夜、全世界でのアクセスが遮断された。
米国系クラウドに依存した企業のデータ基盤は、この問題とどう向き合うべきか。斉藤氏に問いを向けると、こう返ってきた。
「私どもは、データのプラットフォームとストレージのレイヤーを提供しています。お客様がオンプレミスであれ、クラウドであれ、どこに置いてあっても、私どものストレージを使っていただいている場合には透過的に一元管理ができます。どこにあっても、お客様にとって最適な選択肢で提供できるというのが、一番大きな私たちの価値です」
では、データ主権とデジタル主権の概念についてどこまでをスコープとして意識しているか、EUの動向を踏まえて尋ねたところ、こう話してくれた。
「特にEUはレギュレーションも厳しく、データの階層管理という考え方が日本より5年以上進んでいます。機密性の高いデータは安定した場所に置く、クラウドはより柔軟に活用する……そういった階層的な考え方が進んでいると感じています」
では、AIガバナンスの文脈で「意図的なリスク」への備えはどうだろうか。
「私どもはストレージベンダーの中で、4つの大きなセキュリティ認定を持っています。ランサムウェアの攻撃からも守り、いかに早く検知して排除できるか。データの保全性を担保できるかどうかは、クラウドにあろうがオンプレミスにあろうが、大きな観点になってくると思っています」
三つの問いに対する三つの答えを並べると、一つの輪郭が浮かび上がる。斉藤氏自身はこうも語っていた。
「これからより考えていかなければいけないのは、データのオーナーシップです。データの主権がどこにあるかということが、さまざまな観点で問われてくる。クラウドにあるものが、その国との関係で越えられなくなりましたとなったら、データにアクセスができなくなってしまいます」
アンソロピックの停止は、まさにその「なったら」が現実になった瞬間だった。技術の問題は、いつのまにか地政学の問題に変わっている。こうした環境変化のなかでは、データを環境に依存せず管理できる仕組みの重要性は、今後さらに高まるだろう。
(構成=昼間たかし)











