そのソフトバンクにとって大きな痛手といわれているのが、同社社長・孫正義氏の“軍師”と呼ばれていた笠井和彦氏の死去(13年10月)だ。笠井氏の死に際し孫氏は、珍しく人前で泣いたという。
笠井氏は銀行界では「為替の神様」といわれた。富士銀行(現みずほ銀行)副頭取、安田信託銀行会長を務めたが、東大閥が幅を利かす富士銀の取締役会で香川大学出身の笠井氏は異色な存在だった。笠井氏が率いる為替ディーリング部隊が、富士銀の利益の大半を稼いだこともあった。笠井は定年退職後の00年、ソフトバンク取締役に就任したが、「富士銀の副頭取までやった人間が行く会社じゃない」と銀行界で物議を醸した。笠井氏が孫氏に共鳴し、誘いを受け入れたことが最大の入社理由といわれている。
笠井氏以前に孫氏の“軍師”役を務めていたのは、野村證券からスカウトした北尾吉孝氏だった。ソフトバンクは北尾氏の指南で資本市場から資金を調達し、国内外でのM&A(合併・吸収)を拡大した。この当時の代表的な案件が、新興株式市場ナスダック・ジャパンの創設と日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)の買収だった。
孫氏から三顧の礼で迎えられた笠井氏はまず、「結果を出さないと社会から評価されない」と主張して業績を重視し、北尾時代の投資拡大路線と決別した。ナスダック・ジャパンから手を引き、あおぞら銀行株式を売却。ネットと通信事業に投資先を絞り込んだ。
ソフトバンクは00年以降、04年の日本テレコム買収(3400億円)、06年のボーダフォーン日本法人買収(1兆7500億円)、昨年の米スプリント・ネクステル買収(1兆8000億円)など巨額買収を行ったが、笠井氏はその手腕を発揮し、銀行団をまとめた。時価発行での増資をやらず、社債で資金を調達することも極力避けた。株式市場から資金を調達すると、株価に左右され、リスクが高くなるからだ。
世界一の携帯電話事業会社を目指すソフトバンクは昨年、スプリント・ネクステル買収に打って出た。米国政府の認可が出る前の12年秋に、笠井氏は買収資金の為替を予約。周囲が不安視する中、「絶対に円安が進む」と断言して1ドル=82円20銭で買収資金を集めた。13年1月の買収発表時点で2000億円程度の為替差益が出るとの見立てだった。その後、さらに円安が進み、3000億円の為替差益をもたらした。市場関係者は、この笠井氏の手腕に感嘆した。
●注目集める“次の一手”
ソフトバンクが世界展開を加速させるためには、米国3位のスプリントに続いて同4位のTモバイルUSを手に入れることが大きな意味を持つ。折しも、中国電子商取引最大手・アリババ集団が米国市場に上場することになり、ソフトバンクは大株主として脚光を浴びている。アリババ株式の36.7%の保有分だけで7兆円を超えるといわれている(含み益だけで3兆円規模)。ソフトバンクの有利子負債が9兆円あることを踏まえれば、米国戦略を遂行する上でアリババの上場は財務面で大きく貢献することになる。業界の注目は、ソフトバンクがアリババ株を活用してTモバイルUS買収に向け、次にどのような手を打ってくるのかという点に移っている。