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すき家、社員の生命に危険を及ぼす状況と認定 その思想と体質の源を創業秘話に探る

文=編集部
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●ゼンショー創業までの軌跡

 小川氏は1948年7月29日、石川県に生まれた団塊の世代である。自衛官の父と一緒に国内を転々とした小川氏が猛勉強して東京大学に入学したのは68年。全共闘(全学共闘会議)による東大紛争が始まった年である。小川氏は東大全共闘の活動家になった。全共闘が占拠する東大安田講堂の封鎖を機動隊が解除したのは、翌69年1月のこと。安田講堂の攻防戦に敗れて挫折した小川氏は東大を3年で中退し、横浜港の港湾荷役の仕事に就いた。何十トンもある機械を船に積み込む作業で、常に危険がつきまとった。大けがして入院することもあったが、仲間に認められ、3年目に労働組合の役員になった。

 転機は75年に訪れた。港湾労働者を組織して会社の経営陣と闘ってみると、彼らはなかなかのものだった。そこで経営をゼロから学ぶために中小企業診断士の資格取得を目指し勉強し、これからは外食産業かコンビニエンスストアの時代が来るのではないかと考えた。そして78年、小川氏は「世界から飢えと貧困をなくすための新たな闘いの第一歩」という決意で、牛丼チェーンの「吉野家」に飛び込んだ。店長、経理、人事を経て、経営企画室にいた1980年、吉野家が倒産。大株主の新橋商事から派遣されてきた役員に誘われて、新橋商事に移った。

 だが、新橋商事は不動産賃貸業が経営の柱だったため、小川は「世界から飢えと貧困をなくすためには、自分が先頭に立ってやるしかない」と決意し、2人の部下を引き連れて82年に資本金500万円で会社を設立。「全戦全勝する」との覚悟を込めて、社名をゼンショーとした。ここから、ゼンショーの一大外食チェーンへの歴史が始まった。
(文=編集部)

BusinessJournal編集部

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