彼は社長就任後間もなく、史上最高額で買収したRCAの家電部門をフランスのトムソン社に売却して、家電部門から撤退した。ウェルチの頭にあったのは、どんなに新技術・先端事業といえども、ひとたび価格競争に陥れば技術・製品の陳腐化は加速度的に進み、産業の衰退が予想を超えるスピ-ドで進行することだ。経営者は、いち早くその見極めと決断が必要になる。
現在のシャ-プの経営危機を見ると、経営トップの判断ミスと失敗が非常に大きいように思われる。
数年前までは、日本の液晶産業は隆盛を誇っていた。そのため、シャ-プに限らず家電メ-カ-の経営層は「日本の液晶技術は世界トップの先端技術であり、技術の優位性はしばらく揺るがない」と考えていた。実は、ここに大きな落とし穴があった。およそ産業がピ-ク(隆盛)に達した頃には、それを支える中核技術は他社がいつでも、容易に真似できるまでに陳腐化が相当程度進んでいると考えてよい。
シャープ経営陣の甘い認識
液晶産業でいえば、規模の利益が端的に表れ、低価格競争にさらされやすい液晶パネル業界はその代表例である。まさしくウェルチのいう世界で1位か2位しか生き残れない業界に変質していたのだ。シャ-プの経営者は、こうした厳しい認識が欠けていた。
コモディティ化が進む液晶パネルでは、技術・製品の差別化が難しいため、いきおい膨大な設備投資と厳しい低価格の競争を強いられる。サムスン電子など韓国メ-カ-や、ホンハイなどの台湾メ-カ-は、国内市場が小さいため、初めからグロ-バル市場での生き残りを想定している。また、オ-ナ-経営者であるから、サラリ-マン経営者なら逡巡するリスクのある大型の設備投資も迅速に意思決定でき、グロ-バルなマ-ケティング・販売・調達体制も他社に先駆けて整えることができた。
これらは、日本の経営トップにはとてもできない芸当であった(逆に言えば、オ-ナ-企業は経営者の能力次第でどうにでもなり、それが強みにも弱みにもなる)。
シャ-プはもともと海外市場での事業展開が弱く、その分、国内市場の依存度が高いため、グロ-バル市場での大量販売を想定した規模の利益を生かした価格競争に打って出ることができなかった。
液晶への熱い思い
シャ-プの経営の失敗でもう一つ大きな点は、液晶技術への思い入れがあまりに強かったことだ。液晶技術は確かにシャ-プの成長と発展を支えた中核技術であり、そのため経営者から社員まで液晶技術への熱い思い入れと自信を持っていた。それが皮肉にも、液晶技術や液晶事業の寿命を、覚めた目で客観視することを妨げた。
確かに、シャ-プは日本の液晶技術・液晶産業を牽引してきたリ-ディングカンパニ-であった、といっても決して過言ではない。
その原点は、1970年当時の佐伯旭社長が、「シャ-プ100年の計のため千里より天理へ」と、大阪万博に出展するための資金を天理の半導体工場や研究所建設に振り向けて、技術のシャ-プの基礎を築いた。それをベ-スに佐伯社長の娘婿・町田勝彦氏が4代目社長に就き、液晶技術の開発と液晶事業の展開に経営資源を集中投入した。それは技術的にも、事業的にも大成功を収め、特に主力の三重県・亀山工場は液晶工場の先端モデルとして世間の注目を集めた。