停滞するヤマト運輸 不祥事で止まった爆発的成長、「配達品質」取り戻し再成長なるか?
「現象の裏にある本質を描く」をモットーに、「企業経営」「ビジネス現場とヒト」をテーマにした企画や著作も多数あるジャーナリスト・経営コンサルタントの高井尚之氏が、経営側だけでなく、商品の製作現場レベルの視点を織り交ぜて人気商品の裏側を解説する。
「風が吹けば桶屋が儲かる」のことわざではないが、インターネット社会の進展で業績が拡大した“人気商品”にヤマト運輸の「宅急便」がある。
●10年間で売上高、取扱個数ともに1.6倍に拡大
ヤマト運輸の10年前の売上高は約8678億円(2004年3月期)、それが最新の決算(14年3月期)では約1兆3746億円となった。
宅急便の取扱個数も03年度は年間約10億個だったのが、13年度には約16億6500万個にまで拡大した。売上高も取扱個数も、それぞれ1.6倍前後に増えている。
業績拡大の要因は、ネット通販が押し上げた面が大きい。当たり前の話だが、ネット上で商品をクリック(注文)しても品物が飛んできてくれるわけではない。その配送荷物としての取り扱いの拡大が、同社の売上高を押し上げた。
経常利益は04年3月期が約485億円、14年3月期は約631億円だが、前年よりも4.7%減った。これは一部の営業所で、クール宅急便の荷物を常温管理していたことが13年10月に発覚し、大きな問題となったことも影響している。この問題については、後ほど触れたい。
ちなみに、同社のもう1つの柱「クロネコメール便」は、04年度の約9億8000万冊から13年度は20億8400万冊となっているが、ピークだった10年度の約23億1220万冊から徐々に減っている。荷物1個当たりの手数料もメール便より高い宅急便は、ヤマト運輸にとって最大のドル箱事業なのだ。
●顧客のニーズを追い求め成長
宅急便の成長物語は、これまで多くのメディアで取り上げられてきた。ヤマト運輸の2代目社長・小倉昌男氏が社内の猛反対を押し切って、年間取扱個数3000万個を目指して「個人の小口宅配事業」に進出。しかし、1976年1月20日にスタートした宅急便の初日の配送個数は、わずか2個だった。
それが認知度の高まりとともに取扱個数が増えて、今日の隆盛を築く。3年後の79年に年間取扱個数1000万個、80年には参入時に掲げた同3000万個を達成、その後も飛躍的に伸び続けた。
派生商品の開発を進めたのも80年代だ。83年にスタートした「スキー宅急便」は、配達地域にスキー場がある長野県の営業所が、当時のスキーヤーがスキー道具を自ら運ぶ行動を見て、スキー道具の荷受け・荷送りを考えたものだという。翌84年にスタートした「ゴルフ宅急便」は、顧客から「ゴルフ道具を運んでくれるとラクなのに」という要望を受けて商品化した。
88年スタートの「クール宅急便」は、当時の小倉社長が炎天下の配送車の荷台にあった発泡スチロールに氷を詰めた荷物を見て、「冷たいものは冷たいまま運んであげないと、これでは荷物がかわいそうだ」という言葉がきっかけで、商品化につなげた。荷物を預かり届けるまでの配送車の庫内温度を、どう低温に保つかの技術開発に大変苦労したという。これが先行事例となり、生鮮食品の産地直送を裏から支えた。