どういうわけか、ソニーはこのような会合を行わなくなってしまった。公式的な会見、例えば経営方針説明会やアナリストを主対象にしたIRディなどに平井一夫社長が登壇するものの、近距離で懇談する場は設けられていない。たしか、大賀典雄社長時代までは懇談会が行われていた。筆者もプロのバリトン歌手であった異色経営者の大賀氏と文化談義に花を咲かせたことを思い出す。その当時、ソニーに文化の香りを感じ、経営者からブランドを感じたものだ。創業者の井深大氏と盛田昭夫氏も、こうした人間的交流、メディア人との接点を非常に重視していた。
出井伸之元社長も、広報の責任者を務めていただけあって、メディア、アナリスト対策には熱心な経営者であった。その影響力を熟知していたはずである。そのためか、インタビューにも積極的に応じていた。その人が懇談会をやめてしまったのだ。投資した資本に対して、企業が作り出した経済価値を把握するEVA(Economic Value Added=経済付加価値)を導入した社長だけに、懇談会は経済価値を生まないイベントと判断したのだろうか。その真意はわかりかねる。
ただ一つ言えることは、業績が向上し、出井ブームが巻き起こった頃はメディアの取材もラッシュとなったが、「ソニーショック」を機に業績が悪化し始めると、メディアは手のひらを返したかのように集中砲火を浴びせた。その傾向は今も続いているのではないだろうか。もちろん、懇談会をやめたからソニーはメディアから批判されるようになったとは考えられない。今も良心を有する日本のメディアは、そこまで低俗ではないだろう。
懇談会の原点は「人の交流」である。レピュテーション・マネジメント(評判の管理)と懇談会の因果関係は、経営学的に実証されているわけではない。また、広報効果を定量的に実証しようとしても限界がある。このようなアナログな場で、卓越した「芸」を発揮できるジャーナリストやアナリストも減ったが、彼らをオン・ザ・ジョブ・トレーニングで鍛えてくれる、広義の文学性を備えた人間的魅力のある経営者も少なくなってきた。この現象は、あらゆる職場の縮図かもしれない。
社長の表情が元気になってきた――。この変化から何を読み取るか。そして、経営者は世の中に発信する人を目前にして、どのような表情をし、魅力ある表現ができるか。若い経験のない記者を相手にして、ストレスを溜める経営者も少なくないと拝察する。たしかに、勉強不足、教養・学識のないジャーナリストがいることは否めない事実である。だが、彼らが平均であると、経営者も広報関係者も誤解してはならない。経営者が接することにより、発信だけでなく、さまざまな情報を得、アイデアを生むきっかけをつくってくれる、深きコンテンツを持つ人物もいる。懇談会に来ているいろいろな人種とどのように付き合っていくか。百戦錬磨の経営者にとっても、決して無駄な1時間半、2時間ではないはずだ。そう理解することが、真の広報マインドではないだろうか。
(文=長田貴仁/神戸大学経済経営研究所リサーチフェロー、岡山商科大学教授)