国土交通省は、東日本高速道路の社長に住友化学副会長の廣瀬博氏(67)を充てる人事を決めた。6月下旬の株主総会で正式に就任し、元昭和電工専務の佐藤龍雄・現社長(65)は退任する。住友化学は、経団連の米倉会長の出身母体企業。当然のことながら米倉氏の意向を汲んだ人事である。
本サイト(5月14日付)で、高速道路会社のトップ人事を巡る国交省=経団連vs.官邸=同友会の主導権争いを書いた。
2年前、当時の前原誠司・国交相は、国交省や旧日本道路公団OBの高速道路社長をすべてやめさせた。その上で、東日本、首都、中日本、西日本、阪神、本州四国連絡の6社のすべての社長に、民間企業の出身者を起用した。
これに関して経団連には一言の相談もなかったという。前原国交相は、経済同友会に推薦を依頼し、同友会で個別部会の委員長を務めた人物を各社の社長に充てたのだ。
その時にメンツを潰された経団連は今回、国交省とタッグを組んで、巻き返しに出た。東日本高速の社長に住友化学副会長の廣瀬博氏を送り込むことに成功した。しかし、この人選は「お粗末の一言に尽きる」(有力財界人)という。
廣瀬氏は1967年、神戸大学経営学部を卒業し、住友化学工業(現・住友化学)に入社。以来、総務畑一筋で、IR(投資家向け広報)・広報など要職を歴任し、日本経団連の副会長になった米倉社長(当時)を支えて、経団連の農政問題委員会委員長を務めた。2009年4月、住友化学の会長に就く米倉氏の後任として社長に就任した。
しかし、社長は2年でお払い箱に。11年4月1日付で、十倉雅和専務(61)が社長に昇格、廣瀬社長は代表権のない副会長に退いた。この時、社長交代の会見は異様なものだった。会見に出席したのは、経団連会長を務める米倉会長と新社長になる十倉氏の2人。廣瀬氏の姿はどこにもなかった。
米倉会長は、廣瀬氏をわずか2年で交代させることについて、「競争が激化するグローバル市場に迅速に対応する経営が必要だ。(廣瀬氏には)2年前に社長就任を打診した時、『短い就任期間になるかも知れない』と伝えた」と述べた。
廣瀬社長が出席しなかった理由については「今日は新社長のお披露目ということだ。これからは十倉を中心にして、われわれが支えていく経営体制になるので、あえて、廣瀬を出さないでおきましょうということになった」(米倉会長)
住友化学の社長も、米倉氏にかかるとヒヨッ子扱いだ。社長の器にあらずの烙印を捺して、クビにした、と言わんばかりだった。そして今回、その廣瀬氏を東日本高速道路社長に推したのだ。高速道路会社は、民営化したとはいえ、親方日の丸の体質に変わりはない。だから廣瀬氏でも務まると判断したのだろうか。
米倉経団連は、あれほど擁護してきた東京電力に会長も社外取締役も送れなかった。東電の3人の社外取締役は長谷川閑史・同友会代表幹事が推薦し、同友会の枠から送り出された。
やっと、東日本高速道路の社長人事で一矢報いたが、これだって身内企業の副会長に祭り上げた人物しか出せなかった。
経団連会長が”財界総理”と呼ばれたのは昔の話。「米倉さんのお声掛かりなら引き受けざるを得ないなどと、有力財界人が考える場面は在任中、一度も来ないのではないのか」(経団連の副会長経験者)と酷評される始末だ。「米倉氏の人事力は限りなくゼロに近い」(同)と言う向きが増えている。
(文=編集部)