二階堂ふみとKAT-TUN・亀梨和也がダブル主演を務める連続テレビドラマ『ストロベリーナイト・サーガ』(フジテレビ系)の第7話が23日に放送され、平均視聴率は前回から0.6ポイント減の6.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったことがわかった。
このドラマは、『姫川玲子シリーズ』と呼ばれる誉田哲也著の小説を映像化したもの。第7話と第8話は、2013年に竹内結子主演で映画化された原作エピソード「インビジブルレイン」を再映像化して放送することになっている。
この「インビジブルレイン」は、事件の真相を解き明かすことに主眼を置いたストーリーとは少し趣が異なる。どちらかといえば、主人公である姫川の人間像を軸にしており、高校時代に性的暴行の被害者となったという過去が大きなカギになっている。そこを、今回の『ストロベリーナイト・サーガ』ではどう表現されたのだろうか。
まだ後編が残っているので断言はできないが、筆者は原作の意図をあまり表現できていないように感じた。これは、今回の脚本や演出が悪いというより、これまでの積み重ねができていないことによる。
前述の通り姫川にはトラウマとなっている過去があるが、刑事としても異質だ。ほかの刑事にはない直感で犯人の足取りや事件の真相を突き止める素質がある。だが、これは刑事として優れているからというきれいなものではない。姫川のなかに、犯罪者の心情に通じる深い闇があるからだとされている。
「インビジブルレイン」は、これらの前提が視聴者に共有されて初めて意味を持つエピソードといえる。暴力団幹部である牧田勲という男に、姫川がそれと知りながら惹かれていくという“禁断の恋”が描かれるからだ。ところが、今作『ストロベリーナイト・サーガ』ではこれまで、姫川の抱える「闇」をほとんど描いてこなかった。
そのため、姫川が牧田(山本耕史)に惹かれていく過程についても、単に外見がかっこ良くて一目ぼれしたのかな、程度にしか見えなかった。前述の通り、姫川は勘が鋭い。本来なら、不動産屋だと名乗る牧田が事件のカギを握る人物を探している時点で怪しいと気付くはずだ。さらに、普段の姫川なら、自分には槙田と書かれた名刺をくれたその男と、暴力団幹部の牧田が同一人物ではないかとそのうち気付くはずだ。
明らかに目をくらまされているのだが、『ストサガ』ではその理由が全然伝わってこない。牧田の危険な香りに自分に通じるものを感じた、という描写がかけらも見られないのだ。どうして姫川がそんなに牧田に心を許すのかが映像からはわからない以上、視聴者としては「山本耕史がかっこいいおじさんだからかな」と思うしかない。これでは、「インビジブルレイン」を映像化した意味がない。
これまでの積み重ねがないゆえの弊害はもうひとつあった。どうやら『ストサガ』では、姫川に恋心を寄せる菊田和男(亀梨)と牧田による三角関係を強調したいらしいのだが、そもそも菊田と姫川をそこまで親しい関係として描いてこなかったのだ。
単純に菊田の出番もかなり少ないし、役どころも姫川の指示に忠実に従う部下のひとりでしかない。恋心をにおわせるような描写もほとんどなかったはずだ。それなのに第7話のラストでは、牧田に手を引かれて雨の中を走る姫川の姿を菊田が切ない顔で呆然と見つめるという演出がなされた。
制作側はこの場面で、菊田の嫉妬心を表現したかったのだと思われる。だが、前述の通り菊田が姫川を好きだという前提が劇中で確立されていないため、茫然と見つめる亀梨の表情も「悪人にだまされている姫川を心配そうに見つめる部下」にしか見えなかった。
映画版を観たことがある視聴者も少なくないため、視聴者の多くは設定や人間関係を自分で補完しているようだ。ただ、シリーズものでもないのに、この作品で描かれていない設定を踏まえなければ意図が伝わらないドラマというのは、あまり良い作品とは言えない。『ストサガ』で「インビジブルレイン」を映像化しようと当初から考えていたのなら、そこで必要となる姫川の人間像や菊地との関係性から逆算したドラマづくりを初回からしてほしかったと思う。一応後編も視聴するが、この「積み重ねのなさ」を挽回するのは難しいのではないか。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)