梅雨の季節に私たちを困らせるもの、その代表がカビではないでしょうか? この季節は、食品にあっという間にカビが生え、気付かずに食べると腹痛、嘔吐、下痢を起こして大変なことになってしまいます。
「黴のびぬ 日はなし 厠兵舎みえ」
これは、俳人であり微生物学者でもあった飴山實が1959年に句集「おりいぶ」に収載した、梅雨の終わりに詠んだ一句です。ただでさえ湿気の多い厠、つまりトイレで増え続けるカビを、陰鬱な気分で雨のすだれ越しに見ている様子が目に浮かびます。
さて、そのようなやっかいもののカビですが、カビが生えたまま食べ、それがおいしさの元である食品もあります。もっとも有名なのは、ブルーチーズではないでしょうか。
チーズはもともと、家畜から採取した乳を濃縮して保存食とするための加工方法として、約5000年前に誕生しました。エジプトで出土した紀元前2300年頃の壺のなかからチーズの破片が発見されていますし、紀元後65年頃のローマの書物のなかに、チーズのつくり方を詳細に記載したものが見つかっています。
チーズは、微生物の作用で乳中たんぱく質を分解させ、独特の香りとおいしさをつくり出しています。乳の成分は牧草に、風味を醸し出す微生物はその土地の風土に依存するため、畜産の盛んな地域ごとに多種多様なチーズがつくられています。
ブルーチーズの強烈な香りの正体は?
カビの生えたチーズをカビごと味わう習慣が、いつどこで始まったのかは定かではありません。ですが、西ヨーロッパを統一したことによって「ヨーロッパの父」と呼ばれたカール大帝が、8世紀に旅の途中で地方の司教に振る舞われたブルーチーズのおいしさに感動し、毎年の献上を命じたことから、一気に知名度が上がったという説があります。
カール大帝を感動させたチーズは、カビにポイントがあります。チーズは乳を乾かしてつくるのが基本なので、チーズの熟成に関わる微生物にとっては過酷な環境です。
ところが、カビは乾燥した食品にも平気で生えることができ、たんぱく質や脂肪を分解する作用も微生物より強力なので、より芳醇な香りと味を生み出すことができるのです。
ブルーチーズにおいて、その役目を担うのは青カビ類のペニシリウム属です。その名前の通り、抗生物質のペニシリンをつくり出すカビと同じ仲間です。
ブルーチーズは、青カビがチーズの内部全体までしっかりと広がり、チーズ全体の乳脂肪をしっかりと分解します。乳脂肪の2割前後が脂肪酸に分解され、さらに、それらが分解されてメチルケトン類が大量につくり出されます。
そして、それがブルーチーズの好き嫌いを分ける、あの独特の香りの元となります。メチルケトン類は、さまざまな構造の混合物で、青カビの微妙な種類の違いや原料乳中の乳脂肪の含量の違いによって、地域や製造所ごとに多彩なブルーチーズが生み出されます。