「AERA dot.」がタレントのダレノガレ明美に薬物疑惑があるかのように報じたが、それが虚偽だったことが明らかになり大きな話題になった。あたかもダレノガレが薬物を使用しているかのような内容で、朝日新聞出版の署名が入っていたが、なんの根拠もないにもかかわらず掲載したことには疑問を抱く。
薬物や薬物依存に関して取材を続けてきた筆者の個人的見解だが、薬物の使用を続けながら健全な社会生活を送ることは、非常に難しい。薬物使用を続けていれば、自ずと「仕事を疎かにする」「おかしな言動」などが表面化する。
薬物依存に堕ちていく怖さ、依存の闇の深さを読者諸氏に伝えたいとの思いから、特定非営利活動法人東京ダルク・ダルクセカンドチャンスに取材を申し込んだ。普段はメディア取材などはあまり受けていないというが、今回の取材の主旨を理解いただき、話を聞くことができた。
自身も覚醒剤依存性から立ち直り、現在はスタッフとして働く山口哲哉さんは、覚醒剤を始めたきっかけを、信頼する職場の先輩からの勧めだったと語る。
「10代の頃からヤンチャで、友人たちとシンナーを使ったり依存傾向にありましたが、20歳頃に『これではいけない』と思い社会人となって、ごく普通の生活を送っていました。覚醒剤は、まさか自分の身近にあると考えてもいませんでしたが、ある日、先輩に『お前もやってみろよ』と言われたのがきっかけでした」
予想もしない先輩の言葉に、山口さんは驚いたという。
「その先輩は、まったく普通の会社員で、むしろいい人にしか見えないくらいで、『あんないい人がやっているんだから、俺も大丈夫だろう』と軽い気持ちでした。まさかやめられなくなるとは思いもしませんでした」
軽い気持ちで試した覚醒剤だったが、その後、山口さんの生活は一変した。
「気がつけば、覚醒剤中心の生活になりました。仕事にも生活にも支障が出ました。営業をしていましたが、お客さんとの約束はすっぽかして薬をやっているということもしばしば。当時は1パケが1万5000円でしたが、使うたびにだんだん効かなくなっていくので、どんどん使う量が増えていくんです。そうなるとお金が必要になり、カードをつくれるだけつくって“自転車操業”状態でした。挙句、営業でお客さんから集金したお金にも手を出し、会社は辞めることになりました」
幸い事件にはならなかったが、その時点で事件になっていれば、覚醒剤の使用も明らかになったのかもしれない。しかし、覚醒剤の使用が会社に知れることはなく、会社を辞めた後は自宅に引きこもり、夜に覚醒剤を買うため出かけるという生活が7年以上続いた。
「その間に仕事も友人も彼女も、すべてなくなりました。最終的には5日に1回覚醒剤を買いに行き、その額は6万円。お金は本当に大変でしたね。朝起きたら注射しないと1日が始まらない。量を打ち過ぎて倒れ、このまま死ぬんじゃないかなと思ったことも何度もありました。救急車で運ばれて入院しても『原因不明』と診断され、薬が切れて暴れたりしたこともあります。病院ではわかっていたのかもしれませんが、『原因不明なので帰ってください』と言われ、そこで薬物使用の発覚につながることはありませんでした」
ある夜、覚醒剤を買って高速道路のサービスエリアにいたところ、警察官から職務質問を受けた。
「覚醒剤の売人は機嫌がいい時はおまけしてくれたりするんですが、その夜は注射器をおまけしてもらって、それがパケと一緒に何本もダッシュボードに入っていたので、それが見つかって逮捕となりました」
勾留中の出会いが運命を変えた
だが、その逮捕が更生への扉を開いた。
「一般的に覚醒剤を使うと痩せると言われますが、私の場合は太ったんです。とにかく食べたくて、1日中食べまくっていました。だから体重100kgを超える巨漢になっており、勾留中に『イビキがうるさい』とクレームがあって独居房に移されました。本来は1人で入る独居房ですが、そこにはすでに1人入っていて、その人と2人で過ごすことになりました。その人が『お前は初犯だし、まだやり直せるからダルクってところに行ったほうがいい』と言われました。また、面会に来た母親が号泣するのを見て、ダルクへ行って更生できれば安心させることができるのかなとも考えました」
独居房で山口さんにダルクへ行けと諭した人物は、その当時、5回目の逮捕だった。そして現在も刑務所にいるという。薬から抜け出せない苦しみを知っていたからこそ、初犯の山口さんを更生に向かわせたかったのかもしれない。
「初犯でしたので執行猶予がついて自宅に戻りましたが、自宅は『覚醒剤漬けの日々』を過ごした場所だったので、『この部屋で俺はどう過ごせばいいんだ?部屋に居てはだめだと』と思いました」
自分の部屋にいても落ち着かず、早々にダルクへと向かった。覚醒剤に溺れてから37歳でダルクに行くまで孤独だった山口さんにとって、ダルクは温かい場所だった。
「ずっと一人でしたが、ダルクでは朝のミーティングがあり、その後は日によっていろいろな過ごし方をします。みんなで食事に行ったり、映画に行くこともあります。失っていた普通の生活を送れることが幸せだと思います」
覚醒剤を断って知った本当の覚醒剤の恐ろしさ
覚醒剤を断つことができて、あらためて覚醒剤の怖さを知ったという。
「覚醒剤使用中は、クルマを運転しているときに電柱に隠れた黒い影がよく見えて『自分は霊感がある』と思っていましたが、覚醒剤をやめてからは覚醒剤のせいで幻覚が見えていたんだと気がつきました」
覚醒剤をやめて10年以上の月日がたっても、覚醒剤がもたらした“快感”は記憶に残るというが、「再度、覚醒剤をやりたいとは思わない」と断言する。
「正直にいうと、覚醒剤で得た快感に勝るものはないと思います。どんなことと比べても、あれほどの快感はないと思います。しかし、その一方で精神依存、身体依存で体はボロボロになり、人も離れていきます。そういったマイナスなことを考えると覚醒剤をまたやろうとは思いません」
ダルクでスタッフとして働く一方で、自身の経験を生かして薬物乱用防止の活動も積極的に行っている。
「毎年、小学校などで薬物防止について話をさせてもらっています。実は、私に覚醒剤を勧めた先輩は、すでに他界しました。首吊り自殺でした。薬物乱用防止に少しでも貢献していくことが先輩の供養にもなるかなと思っています」
今回、協力していただいたダルクと山口さんに感謝するとともに、薬物に関して報じる側としても、その責任の重さを感じる取材であった。
(文=道明寺美清/ライター)