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石原結實「医療の常識を疑え!病気にならないための生き方」

5年生存率8%…星野仙一氏のすい臓がん、症状・早期発見方法・罹らない方法は?

文=石原結實/イシハラクリニック院長、医学博士
5年生存率8%…星野仙一氏のすい臓がん、症状・早期発見方法・罹らない方法は?の画像1星野仙一氏(築田純/アフロスポーツ)

 去る1月4日、星野仙一氏がすい臓がんのため亡くなった。

 星野氏はドラフト1位指名を約束されていた読売ジャイアンツ(巨人)からそれを反故にされ、1969(昭和44)年、明治大学から中日ドラゴンズに入団。それ以降は、巨人への反骨心を支えに、(特に巨人戦には)気迫を前面に出す「燃える男」「中日のエース」として活躍し、1982(昭和57)年に引退するまで146勝をあげた。その後は、中日、阪神、楽天の監督として計1181勝、4回のリーグ優勝を果たした。

 特に2003(平成15)年には、長く低迷していた阪神を18年ぶりのリーグ優勝に導き、13(平成25)年には楽天に球団史上初のリーグ優勝、日本一をもたらした。その名将・闘将の星野氏もすい臓がんには勝てず、日本人男性の平均寿命より10歳以上若い70歳で不帰の客となった。

 16(平成28)年7月に急性すい炎を発症したことをきっかけにすい臓がんであることが判明、以降、闘病を続けていたが昨年暮れに急に悪化したという。

 16年7月31日には、同じ「すい臓がん」で「小さな大横綱・千代の富士」が61歳で早逝した。優勝31回、53連勝、通算勝ち星1045勝、国民栄誉賞受賞などの記録もすごいが、125kg(今の幕内力士の平均体重=約165kg)あるかないかの軽量で、重量力士をバッタバッタとなぎ倒す、あの精悍でハンサムな千代の富士の勇姿を覚えている方も少なくないだろう。

 1955(昭和30)年6月生まれの千代の富士が、白鵬、日馬富士の両横綱を従えて、還暦の土俵入りを披露したのが2015(平成27)年の5月。その後に受けた人間ドックですい臓がんが見つかり、たった1年余りで彼岸に旅立った。

 16年1月10日には、ニュース分析に定評があったジャーナリストの竹田圭吾氏が、同じく「すい臓がん」で亡くなっている。前年の9月にテレビ番組でがんを公表し、わずか3カ月後の死であった。大学時代アメフトで鍛えた182cm、80kgの偉丈夫だったが、51歳での早死にである。

石原結實/イシハラクリニック院長、医学博士

石原結實/イシハラクリニック院長、医学博士

1948年長崎市生まれ。長崎大学医学部を卒業後、血液内科を専攻。「白血球の働きと食物・運動の関係」について研究し、同大学大学院博士課程修了。スイスの自然療法病院B・ベンナー・クリニックや、モスクワの断食療法病院でガンをはじめとする種々の病気、自然療法を勉強。コーカサス地方(ジョージア共和国)の長寿村にも長寿食の研究に5回赴く。現在は東京で漢方薬処方をするクリニックを開く傍ら、伊豆で健康増進を目的とする保養所、ヒポクラティック・サナトリウムを運営。著書はベストセラーとなった『生姜力』(主婦と生活社)、『「食べない」健康法』(PHP文庫)、『「体を温める」と病気は必ず治る』(三笠書房)、石原慎太郎氏との共著『老いを生きる自信』(PHP文庫)、『コロナは恐くない 怖いのはあなたの「血の汚れ」だ』など、330冊以上にのぼる。著書は韓国、中国、台湾、アメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、タイなど世界各国で合計100冊以上翻訳出版されている。1995~2008年まで、日本テレビ系「おもいッきりテレビ」へのレギュラー出演など、テレビ、ラジオ、講演などでも活躍中。先祖は代々、鉄砲伝来で有名な種子島藩の御殿医。

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