この心理テクニックを提唱した心理学者チャルディーニたちは、通行人に献血への協力を依頼する実験によって、その効果を証明した。実験では、2つの依頼の仕方が用いられた。ひとつは「献血にご協力いただけませんか」と、いきなり本来の要請をぶつけるやり方である。その場合、献血への協力を承諾した人の比率は32%だった。もうひとつの依頼の仕方は、「これから数年間、2カ月ごとに献血していただく契約を結んでいただけませんか」と、いかにも無理な要請をし、「それは無理だよ」と断られたあとに、「では、今回一度きりでけっこうですから、献血にご協力いただけませんか」と頼むやり方である。このような頼み方をすると、承諾率は49%に跳ね上がった。いきなり本来の要請を切り出す場合と比べて、なんと1.5倍の承諾率となった。この心理テクニックについては、多くの心理実験が行われ、その説得効果が実証されている。
そこに働いている最大の要因は、対比効果である。最初に過大な要請を突きつけられると、つぎに差し替えられた要請が実際以上に小さなもの、簡単なものに感じられ、受け入れやすい心理状態になるのである。「2カ月ごとに献血する契約を結ぶなど面倒くさい」と思ったところに、間髪を入れずに「では、今回一度きりで結構ですから」と言われると、対比効果が働いて、「それならまあいいか」という感じになり、要請を受け入れる。最初の要請があまりに過大なため、そのあとで切り出された要請のハードルが下がり、受け入れやすくなるのである。
ビジネス交渉でも、こういった心理テクニックはよく用いられるので、注意が必要だ。たとえば、値引き交渉。損益分岐点からしておそらく15%まで値引きができるはずと見当をつけた場合、初めからそれより低い10%の割引きを要求したからといって、先方がすんなり受け入れるとは思えない。相当な抵抗を示すはずだ。そんなとき、初めに思い切って20%の割引きを要求すれば、当然向こうは「それは無理ですよ。こちらの儲けが出ませんから」と断ってくる。そこで間髪入れずに「わかりました。では、お互いギリギリの線として、10%の割引きで手を打つというのはいかがでしょうか」と持ちかけると、向こうも受け入れやすい心理状態になる。
納期交渉も同じだ。納期をできたら1週間早めてほしいというときも、いきなり1週間早めてもらえないかと依頼するよりも、初めは2週間くらい早めてもらえないかと頼んでみて、「いくらなんでも、それは無理ですよ」と断られてから、「そうですか、どうしても無理ですか。困ったなあ。では、なんとか1週間早めていただけないでしょうか」と頼むほうが、受け入れられる確率は高い。
こうした心理テクニックにうっかりはまってしまい、あとで後悔するような事態に陥らないように、「対比効果」というものをしっかりと頭に刻んでおきたい。
(文=榎本博明/MP人間科学研究所代表、心理学博士)