加えて野々村氏は、校則には「不自由な経験を積むことで、初めて自由のありがたさが理解できる」というメリットもあると指摘する。
「子どもたちが社会性や協調性を身につけるためには、たとえ強制的であっても、服装・髪型・登校時間などの規則をしっかりと守らせることが、大人である教師の仕事です。一部の教育者には、『子どもにも人権があり、やりたいことを自由にやらせてもいいのではないか』と主張する人もいますが、それはまったくの間違いです。この誤った指導が、結果的に自分勝手でわがままな子どもたちを増やしてしまった原因ではないでしょうか」(同)
むしろ軍隊のような集団的規律こそ必要?
ところが、世論は今、髪型や服装を定めた校則を「まるで軍隊だ」とやり玉に挙げ、厳しい校則をすべて「ブラック校則」であるかのように批判する。
そこで前提となっているのは、「軍隊のような集団的規律=悪いこと」という思い込みだ。野々村氏は、そうした風潮に真っ向から異を唱える。
「今の学校教育に足りないのは、むしろ軍隊のような集団的規律です。確かに、時代とともに規則も変わるもの。たとえば、ポケベルが登場したときは学校内への持ち込みは禁止でしたが、現在はスマートフォンの学校内への持ち込みも当たり前で、『正しく使えばOK』という指導方針になっています。こうした時代の流れは仕方ありません。しかし、本来は、学校にいる期間は校則という最低限の義務を果たし、集団生活を営むことが何より重要なのです」(同)
そもそも、権利というのは教育を行う前から無条件に与えるべきものではないという。
子どもたちがやりたがることを野放図にやらせるのではなく、まず大人がルールを示してそれを守らせる。その上で、そこに矛盾があれば教師と生徒の間で話し合う。その繰り返しが「今の教育にはない」と野々村氏は語る。
度が過ぎた「ブラック校則」には問題があり、当然なくさなければならないだろう。しかし、校則すべてが必要ないわけではない。子どもたちの将来を考えれば、「校則を守ること」は決して無駄ではないのだ。
(文=福田晃広/清談社)