正月の雰囲気は、筆者が子供の頃と比べると、ずいぶん変わりました。親戚が集まることも少なくなっているようですし、おせち料理をつくる家庭もあまりないようです。おせち料理はもともと、普段は食事の支度で忙殺されている主婦が、正月くらいはその仕事から解放されるようにという配慮もあって、各家庭でつくり置きのできる料理を暮れのうちにつくり、それぞれの料理に、おめでたいことを引っ掛けていたものですが、そんなことも今となっては懐かしい一コマでしかありません。
父や母はよく、かずのこを食べる時には「かずかずおめでたい~」とか、黒豆を食べる前には「まめでたっしゃで~」とか、昆布巻きを食べる時には「よろこんぶ~」などと言っていて、子供はそれを真似したりしていたものです。今や一年中、何かのイベントがありすぎるので、正月が特別なものではなくなっているとも考えられます。
しかし、2019年の正月は、後々まで記録に残ることになるかもしれません。というのは、内閣府の発表によると、これまで戦後2番目の長さといわれていた「いざなぎ景気」を超えたことが正式に認められ、この1月には、戦後最長といわれている「いざなみ景気」を超えるだろうことも示唆されています。そうなると、12年12月から始まった今の景気回復が、その期間において戦後最長となるのです。もっとも、この判断を下すためには、景気動向指数を構成する各種経済指標の年間平均などのさまざまな分析が必要となるため、正式認定はまだ先になるのでしょうが。それにしても、これを“めでたい”と単純に喜んでいいのかどうか、筆者は複雑な心境です。
ちなみに、いざなぎ景気は、1965年11月から70年7月まで続いた好景気のことです。55年から73年までの、いわゆる高度経済成長期の真っただ中に起こりました。高度経済成長の初期、54年12月から57年6月までに発生した好景気のことは、日本の国が始まって以来の好景気という意味から、初代天皇とされる神武天皇の名を冠して「神武景気」と名付けられましたが、その背景には朝鮮戦争によって起こった「朝鮮特需」があると考えられています。
次に起きたのが「岩戸景気」で、これは58年7月~61年12月まで。前の神武景気を上回るということで、神武天皇からさらに遡り、天照大御神が天の岩戸に隠れて以来の好景気ということで名付けられたといいます。いずれも、マスコミが名付け親ですが、岩戸景気を上回ったことで、天照大御神の父神の名を冠したのがいざなぎ景気で、それをさらに上回るのが伊邪那岐尊の妻である伊邪那美尊の名を取ったいざなみ景気です。
筆者を複雑な気持ちにさせるのは、いざなぎ景気が始まる前年に1回目の東京オリンピックが開かれ、その後、日本が深刻な不況に陥ったことです。これまで、どの都市もそうですが、オリンピックを開催すると大赤字が出ます。それを回復するまでには長い時間を要します。今の日本が、それに耐えられるかどうか甚だ疑問に思うわけです。
景気が回復し続けているといわれても、そのことを実感している国民はどれくらいいるでしょうか。経験的にいえば、これまでの景気回復には、それなりの実感が伴っていたように思えます。しかし、今、景気が回復し続けているといわれても、眉唾もののように感じられます。