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「死ぬと思えば何でもできる」でも「死にたくない」という思いが強い…そこから抜け出すには?

文=沖田臥竜/作家

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 今回はこんな質問が寄せられた。

 「沖田さんの強さの根源は『死』を恐れていないことだと思います。『明日死ぬと思えば、今日はなんでもできる』などとおっしゃっていましたが、まさにそうだと思います。ただ自分は、まだまだ死にたくないし、家族もいるので、死ねないという気持ちはなによりも強いです。どうすれば、死を恐れない強靭な精神になれるのでしょうか」

 随分と誤解があるが、確かに「明日死ぬ」とわかっていれば、何でもできるだろう。少なくても、何でもできるという気持ちにはなれる。

 しかしながら、人間はなかなか死なないこと、そして、今後も生きていかねばならないと誰しもが無意識のうちに理解している。だからこそ迷いや不安が生まれるのだ。そうした思いとどう付き合っていくかが、生きていくが上で永久に続く重いテーマなのだが、それを解消する方法があるのを知っているだろか。それが「死」と向き合うことなのである。

 死ねば、明日の不安も楽しみも、どれだけ大事な約束ごとだって、気にするいわれがない。死ねばすべてから解放される。そして、その死は明日来るかもしれない――そこの境地にたどり着きつつも、それでも生きている限りは全力で生き続けてやるという思いを持てるかどうかではないか。

 誰だって死ぬのは嫌だ、恐怖だ。だけど5年後、10年後を想像してみてほしい。死より辛いと感じてしまう現実だって、やってくるかもしれない。だが、生きていく以上はそれを乗り越えなければならない。

 時間によって、その辛い感情も和らいだり、忘れたりできることもわかっているが、だが、その渦中にいるときは、毎回、人生における不幸のピークではないかと感じるくらいキツかったりするのだ。その状況が延々と続くと思うと、生き続けるよりも、死んだほうが楽なのではないかと考える。逆にいえば、死という選択肢を持てば、または、不可抗力によっていつ命が奪われるかわからないのだと思えば、どんなきつい未来が来ることがわかっていても、それに向かっていける。

 「いざとなれば死を考えればいい」なんて軽々しく口にするなと思う人もいるだろうが、少なくとも私はそう考えている。だからといって、適当に生きようというのではない。「最期は死ぬだけだ。明日死ぬかもしれないのだ。恐るるな、そのまま全力で今を突き進め。振り返るな」と自分自身に言い聞かせているのである。

 誰だって、失いたくない大切なものは存在する。大切なものを守りたい、幸せにしたいという思いも、生きる上で力になるだろう。大切なパートナーのそばに寄り添い、愛を誓い合う。そうしたかけがいのないものを守るために、まずは突き進まなければいけない。それは誰もが理解できるだろ。

 ただ、私の場合はそこが違うだけなのだ。ペンを武器に世に出ると決めたときに、さまざまなことを犠牲にしてでも世に出てやる。それで辛いことがあろうが、失うものがあろうが、ダメなら死ぬだけだと思ってやってきた。そこに妥協は存在しない。もちろん人並みに失敗や後悔もたくさんしている。時を刻むとはそういうことではないのだろうか。そうした中で、生きている証。大切なもの。私には私なりの残したい、伝えたいという思いが強烈にあるのだ。そのために、全力で作品を書き続ける。

 死んで花咲くこともある。私は作品を作っているので、私が死んでからでもよいので、その作品で誰かが幸せになってくれれば、私の人生は意味があったと言えるのではないか。それが私の大切なものならば、なおさらだろう。

 生きるということは、いつかは死ぬということで、どうせ死ぬならば、自分の人生を、人がそう簡単に真似できない物語にしないと意味がないと私は思っている。そのために全力で生きるのである。どうせ最期は死ぬだけなのだ、と。

 どんなことで満足するか幸せを感じるかが、人ひとそれぞれで違うように、自身の頑張りや努力の感じ方ももちろん違う。ただ、頑張りや努力が報われるか報われないかの境界線は確実に存在している。それは後から振り返ったときにしかわからないが、やると決めたら報われるまでやり続けることで、その境界線は後から引かれるのだ。

 途中でダメだ、辞めたと思った瞬間に、それまでの頑張りは報われなくなる。報われるまで延々と試行錯誤し続けるのである。

 壁にぶち当たったときも、人の言うことばかり聞いていてはだめだ。自分の人生だぞ。辛いときに支えたり助けてくれたりした人の言うことならば、耳も傾けられるだろうが、偉そうなことをいう人間に限って、本当にキツイ時には近寄ってもこないものだ。

 そもそも、死への恐怖を克服しようと考えるからややこしくなるわけであって、いつ死ぬかわからないのだから、死んだあとのことや死に方に怯える必要はないのではないか。

 生きるということは楽なことではない。それは歳を重ね、世間を知れば知るほど、痛切に感じさせられることだ。だから私は、もう楽をするのはあの世でもよいかなと考えている。生きている時間はそう長くはないのだ。そうやって暮らしていれば、死ぬ生きる以前の問題で、今の自分よりも、少しでも成長しなければ納得がいかなくなるのではないだろうか。

 どうせ最悪、死ぬだけなのだ。だったら頑張らないと損ではないか。私はそう考えている。

(文=沖田臥竜/作家)

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沖田臥竜/作家

沖田臥竜/作家

作家。2014年、アウトローだった自らの経験をもとに物書きとして活動を始め、小説やノンフィクションなど多数の作品を発表。小説『ムショぼけ』(小学館)や小説『インフォーマ』(サイゾー文芸部)はドラマ化もされ話題に。最新刊は『インフォーマ2 ヒット・アンド・アウェイ』(同)。調査やコンサルティングを行う企業の経営者の顔を持つ。

Twitter:@pinlkiai

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