2025大阪万博、1970年との決定的な違い
大阪といえば、2025年には国際博覧会(大阪・関西万博)が開かれる。1970年の大阪万博は大きな盛り上がりを見せたが、再び期待できるのか。
「70年当時の為替レートは1ドル360円。今ほど海外旅行に気軽に行けなかった時代だ。来場した6400万人の日本人を動かした最大のモチベーションは『海外と出会える』ということだった。来場者は各国のパビリオンのコンパニオンに、あわよくば文通したいと願ってサインを求めた。サインを嫌うパビリオンではスタンプを用意し対応した。また、プレーンヨーグルトやグレープフルーツを日本人が食べ始めたのは、あの会場からだと思う。現在、大阪の街で外国の方は珍しくないし、珍しい外国料理店もたくさんある。少なくとも、2025年には『海外と出会える』という動機が日本人を動かすとは思えない」(同)
紋切型ではない大阪の魅力とは?
最後に、紋切型でない大阪の魅力を挙げるとすればどんなところだろうか。
「東京のメディアはあまり取り上げないが、御堂筋や中之島には美しい街並みがある。また、東京の神田と比べるとややスケールは小さいが、阪急梅田駅にある古書街は知られざる大阪のインテレクチュアルな場所だ。B級グルメでも、大阪のきつねうどんは日本一安くておいしいと思うし、大阪の街中には世界的な建築家である安藤忠雄氏がデビュー当時に設計した、十数坪ほどのお好み焼き屋や文房具屋などの建築物も現存している」(同)
観光スポット、グルメ、関西弁……25年の大阪・関西万博に向けて紋切型ではない大阪の姿が広まれば、既存の大阪的イメージもだいぶ払拭されるかもしれない。
(文=林夏子/ライター)
【※1】
「個人投資家様向け説明会」(朝日放送株式会社)
【※2】
「大阪弁をひっさげて、私は<フランソワーズ・サガン>しよう、と思ったのである。」(『楽天少女通ります』1998年 p.159)