安倍晋三元首相が街頭演説中に銃撃され死亡し、日本中がその死を悼んだ。その銃撃直後に現場に出動した救急隊員らの救命活動記録を奈良市消防局が公開し、注目が集まっている。
記録には当時の緊迫した様子が記されており、まさに惨劇であったことがわかる。また、現場で救護に当たった計24人の救急隊員のうち6人が、事件後にPTSD(心的外傷後ストレス障害)を疑われる症状があると報道されている。心身ともに訓練され、数々の凄惨な事件・事故現場も見ているであろう消防署員が、なぜPTSDになったのか。PTSDとはどういった経緯で発症し、どのような症状を呈するのかを千葉市らいむらクリニック院長、來村昌紀医師に聞いた。
PTSDとは、戦闘、暴行、自然災害や人災などの日常的なストレスをはるかに超える外傷的な出来事(トラウマ体験)に遭遇し、その後、その出来事がフラッシュバックし、さらに不安や恐怖、緊張を感じるといったことが繰り返し起きる疾患である。
「正確には、PTSDと診断するのはまだ早く、原因となる出来事から1カ月以内に起きる不安や緊張などの症状は、ASD(急性ストレス障害)と言います。具体的な症状は、フラッシュバックを繰り返す、不安や緊張、めまいや頭痛、不眠や食欲低下など、さまざまです。現段階では、報道された消防署員の皆様の症状は、ASDの可能性が高いのではないかと思います。1カ月を過ぎても生活に支障が出るほどの症状が持続する場合にPTSDを疑い、診断すべきだと思います」(來村医師)
安倍元首相が銃撃された7月8日から約1カ月が経過し、PTSDと診断されるのはこれからということになる。消防署員は、訓練で惨事ストレスに対するリスク対策も行っているはずであるが、今回の銃撃事件では、そういった訓練も及ばないほどの衝撃を受けたものと想像できる。
銃撃という想定外の惨事がもたらした結果
今回の事件が“銃撃”という日本において極めてまれな方法だったことが、救護に当たった消防署員にとって想定を超える衝撃を与えたと考えられる。
「消防署員は応急処置に慣れているといえども、今回の事件以前に、銃に撃たれた人の救護に当たった経験はほとんどないと思います。また、元首相である安倍さんの命を救わなければというプレッシャーも大きかったと思います。その現場にいれば、誰でもASDに陥る可能性があったと思います」(同)
ASDは、急性ストレスによる心の反応であるが、多くの場合、時間と共にその傷は癒える。しかし、その後も心の傷が癒えずに悪化していくこともあるため、適切な治療を行うことが重要だ。
PTSDは明らかな疾患であり、放置するとうつ病やパニック障害などを発症し、イライラしやすくなるなど生活に支障が出ることもある。
「1カ月経過しても続く場合にはPTSDを疑い、適切な治療を受ける必要があります。PTSDの治療は、心理的カウンセリングや認知行動療法で不安や緊張を和らげる治療や必要に応じて抗不安薬などの薬物治療を行います」(同)
今回の銃撃事件の映像は、SNSやニュースなどで繰り返し映し出されたため、否応なしに目にしてしまった人も多い。
「事件後にその映像を見て『気分が悪くなった』『不安を感じ、動悸がする』といった人もいるようです。事件や事故、災害の際にニュースなどでその映像が流れますが、そういった映像は、なるべく見ないほうがいいと思います。メディアも、テレビで映像を流すことでASDなどを招く危険があることを認識し、配慮するべきだと思います」(同)
あまりに大きな衝撃をもたらした安倍元首相銃撃事件。直接現場で救急対応にあたった消防署員のみならず、テレビなどで映像を繰り返し見たことで心に傷を負った方もいるだろう。安倍元首相に関連するニュースを見ると不安が収まらなくなるなどの症状が出る方は、一度医療機関で受診することをおすすめする。
(文=吉澤恵理/薬剤師、医療ジャーナリスト)