小さなウソやプチ暴飲暴食、恋人への依存など、現代のストレス社会を生きていくためにはちょっとした「異常行動」もリフレッシュのために必要かもしれません。でも、それが常軌を逸してしまったら…?
『あなたの中の異常心理』(岡田尊司/著、幻冬舎/刊)は、精神科医、作家として活動する著者が、人の心の正常と異常の境目に焦点をあて、論じる一冊です。
暴力に憧れたり、完璧を目指しすぎたり、コンプレックスが強かったりといった身近な性向も、“異常心理”とゆるやかにつながっています。そう、私たちは、誰もが“異常心理”に陥る危険性を持っているのです。
ここでは本書で紹介している、現代人の心に潜む“異常心理”を、第2章の「あなたに潜む悪の快感」から2点、ピックアップします。
「見られる」快感に潜む“異常心理”
電車や道の真ん中で自分の性器を見せることに快感を得るタイプの性倒錯である「露出症」があります。性器を見せる露出は、生物学的には自身が生殖可能であることを示すための「求愛ディスプレイ」でした。ですが、現代の人間社会では、近くに魅力的な異性が歩いてきたからといって性行為に誘うことは、ほとんどの場合できませんよね。
すると、一部の人々は直接的な行動ができなくても、代わりのディスプレイ行動それ自体に快楽を見出すようになっていきます。見る―見られるという露出行動自体が、自己顕示的な欲望を満たす刺激的で心地よいものだということが分かってくるのです。そんな「露出狂」の人には、幼いころもっと見つめてほしかったのに、あまり眼差しや関心を獲得できなかったという記憶があることが多いといいます。
もし露出症的な願望を持っていても、一般的な人はそれをもっと控えめな形で満たします。不特定多数の人々のまなざしに自分を丸ごと投げ出し、姿をさらしたいと願う人々の欲求は、自撮り写真投稿といった行動などに見出だすことができるのかもしれません。
ウソをつくのが「楽しい」のはなぜ?
病気のふりをして仕事をさぼるといったウソも、ある程度までは現代社会を生きるには必要な能力であり、ひたすら正直に働いていたのでは身が持たないこともあるでしょう。しかし、ウソをついて厄介ごとを逃れたり、他人に優しくしてもらう、構ってもらう…ということが自己目的化し、それがエスカレートするとことがあります。
また、著者の岡田氏が目にしたケースの中には、「自分で肩関節を外す」ことを繰り返すというものがあったそうです。その患者は、片方の肩が外れてギプスで固定されるだけでも不便なのに、ついに両肩も外してしまいました。患者にとっては、不便さよりも、手当てされ、他人に構ってもらうということの方が大切になってしまったのです。
何の得にもならないようなことのために病気のふりをしたり、体に傷をつけたりといった行動をする人は、かなり深刻な愛情飢餓を抱えていると著者は述べています。
以上に挙げた2つのケースでは、「他人に見られたい欲望」と「他人に構われたい欲望」が異常行動に向かわせているのでは、と分析されています。そして、この2つは多くの人々が心のどこかで抱いている欲求のはず。それが実際の特異な行動として現れるかどうかには、幼少期の記憶や、両親との関係性が大きく影響していると言います。
本書では、ニーチェや三島由紀夫、ドストエフスキー、ショーペンハウアー、ガンジーといった偉人らの“異常心理”と、それに影響を及ぼした幼少時代のエピソードを数多く紹介しているので、教科書で見た歴史人物の意外な一面も見えてきます。現代社会の暗部を捉えた、大胆な一冊です。
(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。