この仮想やりとりを続けていくと、論理的に抜けのない発話をしていくことが徐々に
できていきます。いわば、自分のうちに他者の目を置いておく、ということですね。自分から離れることができて初めて論理性は養われていくのです。
あとは、いわゆる思考停止言語、「ヤバい」「チョー……」「っていうか」、ある
いは料理の味についてなら「うまい」「おいしい」「あまい」などという言葉で感想
を伝えようとしないことです。言葉を模索することは、とても大切です。料理番組に出
て「これ、ヤベエ」などと言う人たちは愚の骨頂といえます。彼らには、論理を身につ
けることはできないでしょう。
――長年、西さんは代ゼミの英語講師として、常に第一線に立ち続けていらっしゃいますが、そのために日頃から取り組んでいることはありますか?
西 ひとつは、自分自身が常に勉強すること。もうひとつは、勉強すること、物事を知ることが楽しいという気持ちを、生徒に感染させるようにすることです。
――感染させるとは、どういう意味でしょうか?
西 勉強したり、何かを知ることが楽しいということは、言葉だけでは伝わりません。やはり、自分が本当に勉強などを楽しんでいないと伝わらないのです。それは言語が身体化されているかどうか。言語が身体化されるためには、自分が体感していないと伝わらない。まったくがんばっていない人が「がんばれ」と言っても空虚な言葉に聞こえますが、本当にがんばっている人に言われれば、耳を傾けようかなと思うものです。
同じ「がんばれ」という言葉を、誰にどういう音で言われるかは大事だと思います。言葉を使っているけど、言葉に乗っけているものが伝わることがある。そういうものは、最終的にはごまかせないと感じています。
――今でも、英語の勉強は続けているのですか?
西 予備校で教えるというレベルでは差し障りないですが、今でもさまざまな局面で「自分は英語ができない」と実感することはあります。数年前にイギリスのケンブリッジに滞在したとき、向こうの人たちとディスカッションをしたのですが、その時にも「できないな」と感じました。ただ、英語が完璧にできないからこそ、英語のできない生徒の気持ちもわかるので、ラッキーなのかもしれません。
――そんな西さんが、このたび、本書『情報以前の〜』を上梓された理由はなんでしょうか?
西 去年、予備校講師として受験の世界ばかりを見ていたことに、ふと気がついたのです。もうすぐ50歳を迎えるので、そろそろ受験以外の社会ともかかわり、発言したり行動しなければと。