また、これらの情報機器の普及と派遣法の改正で、仕事の質が根本的に変わってしまいました。データ入力や、左の物にラベルを貼って右に出すなどの事務作業は、一定規模以上の会社では正社員は基本的にやりません。定常的にそれを行うことが必要であれば、少なくとも派遣社員に任せるか、外注に出します。何百件もの宛名書き、電卓を使っての検算、紙伝票を転記して請求書をつくるといった仕事も、もう存在しません。このような「正確な事務処理」ができる人材が重宝される時代が、ついこの前までありましたが、現在はそのような求人は皆無に近いといえます。
一方で人手不足が深刻になっています。しかし実態は職種によります。たとえば、「そろばんが二級で、書道が初段の、文系の大卒」、このような資格を持つ人の求人は非常に少なく、今の人材市場のなかで一番悩ましいタイプといえます。
1人分の仕事を2人でやることが人材育成だった時代
霞が関の役人と話をしていたら、ぼそりとこう言いました。
「そういえば昔は清書っていう仕事があったな」
昔は、仕事の引き継ぎやOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)は、たとえば課長補佐が手書きでメモを書き、「これ、清書しといてください」と部下に指示することによって行われていました。要点が箇条書きされた手書きのメモをきちんとした文章にして、論理的にまとめて裏付けとなるデータを加えて、といったやりとりが部下を育てることでした。
しかし、今のIT環境のなかでは自分でやったほうが早いので、課長補佐が自分でやってしまいます。データ集めは昔は一苦労でしたが、今はすぐに調べてダウンロードして整理できてしまいます。部下に手伝ってもらうとしたら、せいぜい「エクセルで加工しといて」ぐらいのことしかありません。
清書というとまったく無駄な仕事のように見えますが、実はその過程で人を育てていた、というわけです。そして、この先の会話は「その結果、職場のコミュニケーションが悪くなり」「人間関係が希薄になった」から、「職場のコミュニケーションのあり方を見直す必要がある」と進んでいったのですが、話に相槌を打ちながらも、私は「何か違うな」と感じていました。
要するに昔は1人分の仕事を2人でやっていたということです。昔は非効率を吸収する余裕がありましたが、今は非効率を許容しない社会になってしまいました。このことで「事務処理が得意な人」つまり「正確にこなす人」の 給料は少しずつ下がっていき、「難しい仕事をこなせる人」、つまり「新しいものを創り出す人」にはどんどん仕事が集まっていくようになりました。