ほかにも日本は、韓国・ソウルの日本大使館前にある少女像(慰安婦像)の撤去や、米国などでの反日活動に韓国政府が関与することをやめるよう要求しました。韓国側はこれを拒否し、慰安婦問題の両国の対立があらためて浮き彫りになりました。
そこで今回は、慰安婦について検討してみたいと思います。とてもナーバスな問題ですが、日韓関係を考える上で避けることはできません。竹島(独島)の領有権問題と慰安婦問題の2つが、日韓の間に大きく横たわるからです。
韓国では、「日本軍が20~30万人の韓国人女性を強制連行して性奴隷とした」という“常識”が広まっています。これに反する見解を表明すると、韓国内で暮らしていくことはできません。実際、過去には「強制連行の事実を裏付ける証拠はない」と発言した大学教授が公の場で発言の撤回と謝罪を強要されたことがあります。また、インターネットに「慰安婦などいなかった」と書き込んだ若者が特定され、元慰安婦たちの前で土下座して許しを請う姿が報道されたこともあります。
このように、慰安婦問題については、“常識”に反したことを述べるのは許されない空気が韓国にはあります。
強制連行の矛盾点
しかし、冷静に検討してみると、韓国の主張には腑に落ちない点がいくつかあります。
検討に当たり、前提として「慰安婦がいた、慰安所があった」という点については、ほぼ争いがないので、この点は省略します。
焦点は「強制連行があったか否か」となります。この件について、韓国は1991年まで主張していませんでした。きっかけは、朝日新聞が同年から慰安婦問題を繰り返し報じたことにあります。この朝日新聞報道のポイントは、「吉田証言」および十数人の慰安婦の証言に基づいているということです。朝鮮半島において、物理的な強制力を用いて女性たちが連行されたという物的証拠は提示されていません。
しかし、この朝日新聞記事に乗じて韓国側は、戦時中に韓国人の人権を踏みにじったことを謝罪するように日本政府に迫り93年8月、河野洋平官房長官(当時)が慰安婦の強制連行を認めて謝罪しました。これが「河野談話」です。
ところが2013年、河野談話発表時に官房副長官だった石原信雄氏は、「強制を立証する文書は見つからなかった」と証言しています。また14年には、日本政府が公開した検証結果報告書「慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯~河野談話作成からアジア女性基金まで~」において、河野談話は事前に韓国側との文言調整があり、慰安婦証言の裏付け調査は実際に行っていなかったことが明らかになっています。
馬山・昌原・鎮海市民会によると、韓国政府の認定を受けた元慰安婦は5月28日時点で243人、生存者は54人だといいます。そのうち、河野談話作成に当たって証言したのは十数人です。戦後70年もたっていますから、すでに亡くなった方も多いとは思いますが、本当に数十万人が強制連行されたのか疑問です。
河野談話に縛られる日韓両国
この写真を見てください。慰安婦を募集する広告です。「月給300円以上」と記載されています。当時、公務員の平均給与が数十円、二級兵士も月額約20円(10日で7円)程度といわれています。『帝国陸海軍事典』(同成社)によると、日本軍の中佐の月給が310円と記されていますので、慰安婦は中佐並みの給料だったことがわかります。ちなみに、日本軍の階級は上から大将、中将、少将、大佐、中佐、少佐、大尉、中尉、少尉……と続きますので、中佐はかなり高い位です。今の金額に換算すれば、150万円くらいに相当するともいわれています。
数十万人の慰安婦が強制連行されていたとすれば、このような募集は必要なかったはずです。
現代の先進国において、刑事裁判を行う上で重要な原則があります。「疑わしきは被告人の利益に」というものです。確固たる証拠によって、100%有罪であると裁判官が判断しない限り、被告人は無罪となります。しかし物的証拠がなく、証言のみで“自白”した河野談話によって日本は有罪となりました。
また、民事裁判を起こす際には、原告側に事実を立証する責任があります。なぜなら、実際に「あった」ことを証明するのは簡単ですが、「なかった」ことを証明するのは極めて困難だからです。慰安婦問題でも、強制連行が「あった」と主張する韓国側に立証責任があるはずで、日本側に「なかった」ことを証明させようとするのはおかしいのではないでしょうか。
強制連行の話とは別に、慰安所を運営していたのが日本軍だったのか、民営だったのかという議論もありますが、軍がなんらかのかたちで関与していたと考えるのが自然ではないでしょうか。なぜならば、性風俗に関しては警察が厳しく取り締まっていた時代に、国家の許可なく韓国人を雇って慰安所を運営するのは困難だったはずです。しかも、複数の元日本軍兵士が、戦地に赴いた後などに褒章として慰安所の利用券が配布されることがあったと証言しています。
まとめると、慰安所は確かにあり、慰安婦もいました。そこには韓国人の慰安婦もいました。その運営に当たって、日本軍は黙認以上の関与があったと思われます。しかし、韓国人女性を強制連行した証拠は見つかっていません。
このように見てくると、朝日新聞報道に端を発した慰安婦問題は、韓国内で生み出された“常識”が既成事実のようになっていることがわかります。
河野談話発表5カ月前の93年3月、韓国の金泳三大統領(当時)は、「従軍慰安婦問題に対し、日本に物質的な補償は求めない方針」と明言しています。その後、日韓両国は綿密にすり合わせをしています。つまり、宮沢喜一政権は韓国側の要望を受け入れることで、協調路線を歩もうという意思を表すために河野談話を発表したのではないでしょうか。しかし、皮肉にも日韓関係は、その河野談話によってこじれたまま現在に至っているのです。
朴槿恵大統領は「日本が歴史認識を改め、元慰安婦に謝罪しない限り、日韓首脳会談には応じない」との姿勢を崩していませんが、事実ベースを積み上げた歴史認識を共有するためにも、証拠に基づかない河野談話は忘れ、首脳会談を行った上で新たな日韓関係を築くべきではないでしょうか。
(文=林秀英/ジャーナリスト)