10月実施「保育園無償化」が、保育の質を低下させ少子化対策にもならないこれだけの理由
この10月、乳幼児子育て世代にとっては非常に大きな、ある行政施策の大転換が行われる。いわゆる“幼保無償化”と呼ばれる、幼児教育・保育の無償化だ。10月といえば、消費税10%引き上げのタイミング。この幼保無償化に伴う必要負担は、国と自治体とで7000億円超とされ、まさに消費増税に伴う増収分があてられることとなっている。
幼保無償化はもともと安倍晋三政権の看板政策のひとつであり、今年2月、この無償化を可能とする子ども・子育て支援法改正案を閣議決定。4月には衆議院、5月には参議院をそれぞれ通過し、成立した。しかし昨今、待機児童問題や保育士の大量退職、保育所内の虐待など、保育園に関するさまざまなニュースが取り沙汰されるなか、この施策にもまた、根強い批判の声がある。
無償化の対象は3~5歳児がいる原則全世帯と、0~2歳児がいる住民税非課税の低所得世帯で、認可保育所や認定こども園などの利用料が無料になる。その他、認可外保育サービスや幼稚園も、上限付きだが補助の対象となる(延長保育代や通園送迎費、食材費などは補助の対象外)。
幼保無償化は安倍政権の掲げる「全世代型社会保障」の目玉であり、少子化対策と女性の就労支援が目的とされる。しかし、「今回の無償化は、少子化をかえって進めることにさえなりかねない」と話すのは、日本総合研究所の主任研究員で、子ども・女性政策が専門の池本美香氏だ。
一見すると、子育て世代に対する月間数万円単位の“オトクな補助”のように見える、今回の幼保無償化。にもかかわらず、なぜ実際には少子化の改善につながらないというのか。その問題点と今後の日本に与える影響について、2回にわたって池本氏に話を聞いた。
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池本美香(いけもと・みか)
1989年に日本女子大学文学部卒業、三井銀行に入行。三井銀総合研究所出向を経て、2001年より日本総合研究所調査部主任研究員に。専門は、子ども・女性政策(保育、教育、労働、社会保障等)。著作に、『失われる子育ての時間―少子化社会脱出への道』(2003年、勁草書房)などがある。
無償化で深刻化する保育現場の問題
――認可保育園などの利用料が無料になるというのは、わかりやすい育児支援に見えます。実施まであと2カ月ですが、現段階ではどんな問題点があるのでしょうか?
池本美香 今回の幼保無償化には、大きく3つの問題点が挙げられます。1点目は、保育現場の問題が悪化すると懸念されること。待機児童問題、保育施設での保育の質の低下、保育士不足や保育士の労働環境悪化などが、より深刻になる可能性があるということです。
よく知られているように、今の保育の現場は多くの課題を抱えています。たとえば待機児童は、2018年10月時点で、統計上でも4万7000人超。潜在的待機児童数はもっと多いでしょう。またここ2〜3年、保育施設での事故も、死亡事故は減っているものの、重大な事故件数自体は増加しています。保育所での虐待にも注目が集まっています。
――確かに、都内を中心に保育園が次々とできる一方で、保育士は無理な労働条件で勤務させられているとも聞きます。保育士の大量退職もたびたび報じられていますね。
池本美香 これらの問題が生じたのは、共働き世帯が増加し、その結果として保育園の需要が高まった結果です。2019年10月以降は保育料がタダになったり安くなったりするわけですから、子どもを預けて働きたいと考える人の数はさらに増えるでしょう。となれば、待機児童の増加が懸念されます。また、すでに保育園に預けていた保護者も、これまでの負担額ないしそれより少ない額でより長時間の保育を利用できるようになります。保育の利用者、利用時間が増えれば当然、保育士の労働環境がさらに悪化することも想像に難くない。
一方で、保護者の不安は増すことになるでしょう。保育士が激務により疲弊していたり、保育士が日々入れ替わったり、ましてや子どもが事故や虐待に遭うなどの事例が増えれば、いくら利用料がゼロになっても、預け先への不信感が募るだけですからね。
実は、2013年に0~5歳児に対する保育の無償化を実施した韓国では、所得や就労状況にかかわらず無条件での完全無償化を実施したため、保育の現場は深刻な受け皿不足となり、質の低下を招いたと報告されています。さらに、結局は無償化後、韓国の少子化は改善されるどころかむしろ進行しており、無償化に関しては廃止の議論さえ出ているのです。
“保育の質”確保は後回し、ずさんな日本の無償化
幼児教育の無償化は、すでに多くの先進国で行われた試みだ。イギリスでは2004年からすべての3〜4歳児に対する幼児教育が無償化(同国では5歳からは就学)。2014年には低所得世帯の2歳児も無償化の対象となった。フランスでは、ほとんどの3~5歳児が公立幼稚園に通うが、その利用料は無償だ。
ニュージーランドでは、2007年に3~5歳児の保育料が週20時間まで無償化。日本における幼稚園に相当する部分の時間が無償化されたことで保育の利用者が増え、午後の預かりを行うフルタイムの幼稚園が一気に増加したという。
――2つめの問題点は、どのようなものでしょうか?
池本美香 家計の経済的負担を軽減することが先行し、幼児教育の質の確保が後回しになっていることです。幼児教育の無償化は、確かに諸外国でも行われています。しかし、その成功例を見てみると、まずは質の確保を行った上で、その後に無償化しているのです。
たとえばニュージーランドでは、保育を行うすべての施設に共通する保育指針が作成された上で、その指針に基づいて保育施設の質を評価する国の機関を設立。すべての保育施設に対し、定期的な評価を受けること、その評価結果を公開することが国によって義務づけられました。
保育教員については、教員登録を行う国の機関を設置して、3年ごとの免許更新制を導入。採用や免許更新時には犯罪歴の照会も行われています。その給与水準は、小学校教員程度にまで引き上げられました。現場効率化のためのICT活用についても、国レベルで議論。こうした質の改善を行った上で、最後に行われたのが2007年の無償化だったのです。
――日本とはまったく違いますね。日本では、一般市民どころか、保育園に子どもを預けようとする保護者にとっても、客観的な視点で保育所の質を見極めることなど、かなり難しい状況です。
池本美香 日本にはそもそも、ニュージーランドのような保育所の質の評価を行うような機関がありません。保育所に対する調査は自治体に一任されており、その内容もまちまち。抜き打ち調査を行ったり、詳細なレポートを公表したりする自治体は限られています。都内や近畿圏など施設が急激に増加した地域では、調査が手薄になる傾向にもあります。
そのため、保護者はそれぞれの施設がどんな保育をしているのかを正しく比較・検討するのが難しく、「どういう保育を行っているのがいい保育所なのか」を把握することもできない。客観的な評価がわからない状態で保育所に子どもを預けることになるため、当然不安になりますよね。
また、日本では保育士の免許は更新制ではないですし、犯罪歴チェックも行われません。小学校教員などとの給与格差はいまだに深刻な状況で、欧米諸国と比較して保育士ひとりが見られる乳幼児の人数の基準も甘い。ICT化も進まず、要は無償化前の現時点においてもすでに、環境整備がまだまだの状態なのです。
無償化は“教育格差”の拡大を招く
現在、認可保育園や幼稚園などの施設では、世帯所得に応じた利用料の減免措置がすでに行われている。大半の施設で、各世帯が負担している保育料は、すでに所得に応じて金額が変わる仕組みなのだ。
その実際を見てみると、生活保護世帯は、どの施設に通う何歳児であっても利用料は無料。市町村民税が非課税になる低所得世帯も、利用料の上限金額は全国一律で9000円。一方、利用料が最も高いのは、住民税が39万7000円以上(推定世帯年収1000万円程度以上)の世帯で、上限金額は全国一律で10万4000円に設定されている。
――それでは、3つめの問題点について教えてください。
池本美香 3点目は、制度設計上、高収入の世帯ほど結果として得をしてしまう、という問題です。
現在、認可保育所や認定こども園、幼稚園など多くの施設では、利用者負担額の減免措置がすでに行われているわけです。この仕組みにより、すでに生活保護世帯の負担額は事実上、無償化されており、低所得世帯でも負担額は抑えられている。つまりそうした家庭にとって今回の無償化は、新たなメリットはほとんどないわけです。
一方、無償化の恩恵を受けることになるのが、高所得世帯です。自治体にもよりますが、月3〜5万円程度の保育料を支払っている世帯であれば、今回の無償化によって年間40〜60万円程度が浮くことになる。これは非常に大きいですよね。
――幼保無償化は、高所得世帯のほうが得られるメリットが大きい。高所得世帯ほど家計へのネガティブな影響が少ないとされる消費税増税と、どこか似ていますね。
池本美香 実は、韓国では保育料無償化により、今まで保育料にあてていたお金で習い事をさせる高所得家庭が続出。その結果、所得による教育格差が拡大しているといいます。
安倍首相のいう「全世代型社会保障」とは、どの世帯も等しく教育が受けられることを目指しているはず。しかし実際には、幼保無償化はさらなる教育格差を生むかもしれないわけです。昨今は乳幼児の習い事も盛んだといいますが、高所得者世帯に向けた習い事ビジネスは今後、加熱していくかもしれません。
「産み育てたい」マインド育てる無償化を
――最後に、無償化の中長期的な影響について教えてください。2019年4月入園の“保活”は、幼保無償化の影響ですでにやや激化したともいいます。無償化はすでに、保育需要の掘り起こしにつながっているようです。
池本美香 そうですね。今まで認可保育園の待機児童は1〜2歳にボリュームゾーンがありましたが、2020年度は3歳児の人数も増えるかもしれません。
また、長期的な影響としては、少子化がより深刻化する可能性もあるのではないでしょうか。日本における少子化の原因としては、「母親が大変だから」「保育園に入れないから」「お金がかかるから」といった理由付けがなされていますよね。その延長線上にあるのが、今回の「幼保無償化」なわけです。その理由付けの根底にあるのは、「育児はコストがかかる」「子どもはリスクである」といった思考なわけです。
しかしそうした思考が根底にあるままでは、きっと今の若い人たちは、将来、子どもを産み育てたいというマインドにならないでしょう。それよりも目指すべきは、多少お金がかかっても、「子どもがいて楽しいと思える社会」ではないか。そうした社会を目指せば、子どもは自然と増えるように思われるのです。
ノルウェー政府のパンフレットには「この国の子どもが幸福になるために家族政策をする」とありました。日本でも、票集めのための見せかけの子育て支援はやめて、「子どもも親も楽しく幸せに暮らすために」、制度改革をしてほしい。10月から実施される無償化が、そのようなものであることを切に願います。
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