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謎のベールに包まれた「大嘗祭」の全貌…巨額国費支出に憲法違反の指摘、正当化のロジック

文=井戸恵午/ライター
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即位の礼「祝賀御列の儀」での天皇皇后両陛下(写真:日刊現代/アフロ)

大嘗祭」は天皇の皇位継承に際して行われる祭祀である。

 天皇が五穀をはじめとする実りを神に供え、共喫食することで収穫に感謝する性質のものだ。この点では毎年、勤労感謝の日に行われている「新嘗祭」と同趣旨のものといえるが、天皇が即位の後に初めて行う新嘗祭を特に大嘗祭と呼び、一代に一度の特別な祭祀とされている。新天皇の即位に伴い、令和元年(2019年)11月14日から15日にかけて大嘗祭が行われる。これは一連の皇位継承儀礼のクライマックスともいえるものだ。

 この皇室祭祀に用いるためだけに「大嘗宮」という特別な建物が造営されることからも、いかに重要視されているかがうかがえる。大嘗祭の中心的儀式となる「悠紀殿(ゆきでん)供饌の儀」と「主基殿(すきでん)供饌の儀」の舞台となる「悠紀殿」と「主基殿」の2つの建物は、この大嘗宮の中心に向かい合うように建てられており、そのさらに奥に設置された「廻立殿(かいりゅうでん)」を含め、これら3つを主要三殿と呼ぶ。

 ほかにも、大嘗祭に用いられる米を納めておく「斎庫(さいこ)」や神の食事である神饌を調理する「膳屋(かしわや)」などがある。大嘗宮は事後、解体の上で焼却されることになるが、11月21日(木)から12月8日(日)の18日間、一般公開されることが決まっているので、関心のある方は見に行かれてはいかがであろう。

 大嘗祭に際して、神饌として日本全国より多くの食材が集められるが、なかでももっとも重要とされるのが米である。このための稲を収穫する田を「斎田(さいでん)」と呼び、その選定は「亀卜(きぼく)」、すなわち焼いた亀の甲羅に生じたひび割れの形状によって占う、古代からの方法が用いられる。この「斎田点定の儀」により、稲は下野国(栃木県)と丹波国(京都府)の斎田より取り寄せることに決まった。その上で「大田主」と呼ばれる耕作者が決められ、稲の生育に当たる。そして、「斎田抜穂(ぬきほ)の儀」と呼ばれる収穫の儀礼を経て、ようやく納められるのである。

 なお余談であるが、前回は羽後国(秋田県)と豊後国(大分県)が選ばれており、この際に貢進された秋田産米の銘柄が「あきたこまち」であり、大いに宣伝になったらしい。今回も栃木産米の銘柄が「とちぎの星」であると報じられるや、早くもこの米を用いた清酒の注文が殺到しているとの由。また、京都産米の「キヌヒカリ」も広く知られることになるだろう。これは、大嘗祭という宮中祭祀がもたらす、ひとつの経済効果と言って良いのではないだろうか。

大嘗祭では何が行われる?

 さて、大嘗祭は(1)大嘗宮の儀(2)大饗(だいきょう)の儀の2部構成で執り行われる。また、「大嘗宮の儀」は悠紀殿供饌の儀と主基殿供饌の儀からなる神事であり、大饗の儀は事後に参列者と共に行われる祝賀の饗宴となる。

 まず、大嘗宮の儀の流れから説明していくことにしよう。11月14日の夕刻、新天皇は控えの間である廻立殿に入る。そこで沐浴して身を清め、白絹の祭服に着替えて悠紀殿へと向かう。これに先立って、膳屋において調理されていた神饌も運び込まれ、ここから「悠紀殿供饌の儀」が始まるのである。

 廻立殿から悠紀殿へ入った天皇は手水を使ったのち、自ら竹箸を取って柏の葉でつくった箱から同じく柏の葉でつくられた皿に箱神饌を盛り付け、神に供える。神饌は米や粟のほか、海産物や果物、酒など多種多様であり、天皇はこれらすべてについて、この動作を行う。

 この神饌を供える儀式が終わると天皇は拝礼を行い、国家国民の安泰と五穀豊穣を祈り、感謝する「御告文(おつげぶみ)」と呼ばれる神への言葉を読み上げる。しかるのち、直会(なおらい)として、神に供えたものと同じものを食する。これが悠紀殿供饌の儀の大まかな流れであり、3時間ほどかけて行われる。しばし休憩を挟んで、今度は暁前から主基殿において同じ様式で行われる主基殿供饌の儀となる。

 大嘗宮の儀の後、11月16日および18日の両日に行われるのが「大饗の儀」である。これは皇居内の豊明殿で行われる饗宴であり、天皇が参列者と共に酒と料理を食して安寧と豊作を祝う節会(せちえ)とされている。このときに飲まれるのが、大嘗祭や新嘗祭のために特別に醸される「白酒(しろき)」「黒酒(くろき)」と呼ばれる酒である。前者は原酒をこした白濁した酒で、後者は「久佐木」という植物を蒸し焼きして炭化させ、その灰を白酒に加えたものである。原料となる米は、斎田にて収穫されたものが用いられる。また、この際に悠紀・主基両地方の献物、すなわち両地方の特産物についての紹介なども行われる。

国費支出をめぐり議論も

 この大嘗祭については、「即位礼正殿の儀」と同様に憲法の政教分離規定に違反するという批判が出ている。また、この観点から、国費が支出されることもまた違憲であるという指摘もあるようだ。これに対し、政府の見解としては収穫儀礼に根ざしたものであり、伝統的皇位継承儀式という性格を持つものであるとした上で、その宗教的性格から、大嘗祭を国事行為として行うことは困難であるとしている。

 その一方で、皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然であり、大嘗祭には公的性格があるとして、その費用を宮廷費より支出するのは妥当と結論付けた。

 すなわち、大嘗祭は宗教的性格を有するため国事行為とはできないが、一定の公的性が認められるので、皇室行事として宮廷費によってその費用をまかなうということである。この「宮廷費」というのは、宮内庁関係予算に分類される「皇室費」の中に含まれるもので、このほかに皇族の日常生活の費用である「内廷費」と、皇族としての品位保持の資とされる「皇族費」がある。この2つは公金ではない、お手元金として皇族に分与される。

 これらと異なり、宮廷費は皇室の公的活動・皇室財産の管理・皇居などの施設整備に用いられる公金であり、内廷費および皇族費が2~3億円であるのに対して、宮廷費は100億円を超える巨額となっている。大嘗祭を行う上では大嘗宮の造営をはじめ多額の予算を必要とする関係上、宮廷費でまかなわざるを得ないというところであろう。

 ただし、この宮廷費からの捻出でさえも多額であるとの批判があり、これにこたえるかたちで、宮内庁は大嘗祭の予算規模を前回の8割に縮小することを決めた。結果、悠紀殿と主基殿の屋根を茅葺きから板葺きに切り替えたり、膳屋を木造からプレハブに変えたりするなどの措置がとられた。そうすると、今度はそれが伝統にそぐわないとの批判が別のところから噴出するという具合である。ただし、これについては、果たして妥当な批判といえるのか疑問とせざるを得ない。

変化を繰り返してきた大嘗祭の歴史

 それというのも、大嘗祭自体がその歴史のなかで、多くのマイナーチェンジを繰り返してきた祭祀であるからだ。そもそも、大嘗祭は天武天皇在位の頃(673~686年)にもともと行われていた新嘗祭と区分されたのを始まりとする。祭祀が行われる場所にしても、必ず大嘗宮が造営されるわけではなく、内裏の朝堂院や紫宸殿の前庭などが使われている。そのほか唐楽を使用するか否か、飾り付けが華美だ簡素だと、古代においてはめまぐるしく変化を繰り返している。

 また、中世における南北朝の戦乱においてたびたび途絶しており、ついには応仁・文明の乱以降には行われなくなった。あらためて大嘗祭が東山天皇によって復活するのは、これから200年以上も後の江戸中期になってからである。次代の中御門天皇の際には行われなかったが、桜町天皇の際に再復活し、以後は現代に至るまで継続されている。

 近代以降も明治・大正・昭和・平成と、これまで大嘗祭が4回行われたことになるが、それぞれに変化が見られる。その最初の明治4年(1971年)に行われた大嘗祭が、現今の大規模な大嘗祭の祖型であるとされる。しかしながら、この当時の政府の中枢にあった人々は、これに参列していないといえば不思議に思われるだろうか。

 この年、明治政府は「岩倉使節団」を欧米に派遣することを決定しており、彼らは大嘗祭の数日前に出国してしまっているのだ。大嘗祭へ参加したのは西郷隆盛や板垣退助など、いわゆる「留守政府」の面々である。日程を少しずらせばと思わなくもないが、そうはされなかったのである。当時の政府において、条約改正に比して大嘗祭は相対的に重要事とはみなされていなかったのではないかと思われる。

井戸恵午/ライター

井戸恵午/ライター

フリーのライター。主にWEBメディアで執筆中。

Twitter:@idokeigo

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