2年半前にリニューアルされて全国的に話題になった図書館のある佐賀県武雄市に住んでいるが、件の図書館についての記述はほとんどなかった。ツイッターでも、あの事件が起きるまで、図書館に関して積極的につぶやいてはいなかった。なぜなら、不用意なツイートをしてしまうと、人口5万人の小さな町ゆえ、個人が特定されてリアルの生活に支障をきたすおそれがあるためだと、ブログには書かれている。現に、そうなった人を何人も見てきているらしい。
事件が起きたのは2月末のことだった。そんな人物がツイッターで瞬間的に沸騰した声を上げたのだ。
「なんだぁぁぁこりゃぁぁぁ!!! 」
このツイートには、「武雄市内の小学生 保護者各位」と題された1枚のプリントの写真が添付されている。
「このたび、武雄市内児童の読書推進を目的として 武雄市図書館の利用カードの一斉作成をすることになりました」
あたかも強制であるかのように書かれたプリントでは、「すでにお子様が図書館カードを作成されている方はお申し込みの必要はありません」と、作成していない人は申し込みが必須のように前置きしたうえで、こんな指示が書かれていた。
「作成いただくカードは2種類のタイプからお選びいただけます。A.図書利用カード B.図書利用カード(ポイント付き)」
どちらを選択した場合でも、登録申込書と父兄の同意書の提出が必要で、さらにBの「ポイント付き」を選択した場合には、登録申込書の上段の「右規約に同意します」にチェックを入れるよう指示されている。2月末に配布され、提出期限は3月6日となっていた。
「ポイント付き」とは、武雄市図書館が公式採用しているTポイント機能がついた図書貸し出しカードのことだ。
「まさか、学校を通して市内の全児童にTカードをつくらせようとしているのか」と疑問に思われる人も多いだろう。その「まさか」が本当に起きたのである。
公立小学校全体で私企業の利益を後押しする異常さ
Tカードは、レンタルショップのTSUTAYA(ツタヤ)を運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)が展開するTポイントサービスを利用するためのカードだ。提携する店で買い物や飲食するとTポイントがたまり、それを加盟店でも使える。CCCが運営する武雄市図書館の場合、無料で本を借りてもポイントがつく。
Tカードは、CCCの主力事業のひとつだ。会員は、提携店を利用してポイントをもらえる代わりに、日々の行動履歴データは、CCCにすべて補足されることになる。CCCは、そのデータを自社のありとあらゆる部門の経営に生かすと同時に、提携企業にも個人情報を除いたデータを提供することで収益を上げる。
そんな完全に私的な事業を、市内の学校をあげてサポートしているかのような出来事に少なからぬ父兄が強い違和感を覚え、同時に子供の個人情報までも根こそぎ一民間企業に補足されることに対して底知れぬ恐怖を抱いただろう。
実際、この事実をツイートした人は、この後、それまで抑制していた武雄市図書館の指定管理者であるCCCに対する反感をあらわにすることになる。
インターネット上では、このプリントについて、当初「いくらなんでも市の教育委員会がそんな公私混同なことするわけない。おそらく怪文書だろう」との見方も出ていた。しかし、やがてそれが本当に小学校で配布されたプリントであることが判明すると、そのあまりの配慮のなさに批判が殺到することとなったのは、ごく自然のなりゆきだろう。
武雄市教育委員会に事実関係を確認したところ、「確かにそのような文書を配布したが、事前に各学校の校長には任意である旨を説明していたので、問題があったという認識はない」とのこと。
そもそも「武雄市では、図書館が指定管理になる前から、児童・生徒の利便性のために、定期的に学校で一括してカード作成する機会を設けていて、今年だけのことではない」という。そこで「では、毎年の恒例行事なのか」と質問したところ、「いや、ここ数年は行っていなかった」と説得力がない回答をする。
教育委員会は「この件について、直接、教育委員会への父兄からのクレームは特になかった」と説明しており、ネットでの反応とはあまりにも落差が大きい。
しかし、東京都内の学校関係者にも取材したところ、「調べ学習のため、クラスごとに団体カードをつくることはありますが、読書推進活動の一貫として、教育委員会が全児童個人に図書館のカードを作成させるようなことは、まずあり得ない」と断言し、「まして、一民間企業の利益になると疑われるようなことをするとは信じられない」と驚く。
カード作成の何が問題なのか
問題なのは、まず「ポイント付きカード」を希望するかどうかを市内の各世帯に選択させた大量のデータを、市が一時的にせよ保持することになった点である。
なぜならば、「ポイント付きカードを希望した」人は、前市長が役所をあげて推進した新図書館事業を支持する「賛成派」とみることができ、「ポイント付きを希望しない」人やカードの作成を申し込まなかった人は「反対派」であるとの“踏み絵”をさせられるように感じた人もいただろう。
門外漢にとっては、まったく荒唐無稽な話だが、一連の騒動によって、それくらい市民はナーバスになっている。場合によっては、「ポイント付き」を選ぶ生徒が多いクラスでは、同調圧力がかかるかもしれない。
そして何より、ポイントの付くカードを作成することで、2013年にCCCが図書館の指定管理者と決まってから指摘され続けてきた問題があらためて浮かび上がってくる。それは、公共図書館において、これまで不可侵とされてきた個人の貸出(読書)履歴情報保護だ。
どんな本を借りたかというのは、人に知られたくない個人情報として厳密に管理されるからこそ、我々は安心して公共図書館を利用できるのだか、その情報が第三者によって密かに収集されているとしたら、こんなに気味の悪いことはない。
CCCは、借りた本の書名はもちろん、個人を特定される情報はCCC側に一切保存されないと説明しているが、カード発行時に個人情報を登録している以上、利用者はマイナンバー制度同様、個人情報について漠然とした不安を拭いきれない。
また、未成年の場合、保護者が一度規約に同意してしまえば、将来成人してからも、自分で削除要請を出さない限り、行動履歴を延々と収集・蓄積され続ける懸念を指摘する声もある。
子供の個人情報に関しては、昨年、最大2070万件もの顧客情報が流出して大問題となったベネッセの事件を持ち出すまでもなく、ありとあらゆる事業者にとってのどから手が出るほど欲しい「宝の山」である。その取り扱いは相当に慎重を期させないといけないなかで、教育現場で一民間企業のポイントカード会員獲得を代行するなど前代未聞である。
(文=日向咲嗣/ジャーナリスト)